説を立てるからには、必ずしも拠《よ》るところがないわけでもありますまい、荒唐無稽の小説ならばとにかく、新研究とあるならば、一応読んで置く必要があると思います、拝借いたしましょう」
「どうぞ、ごゆっくりごらん下さい――ところで、秀吉も、家康も、右の通り、その出生が農奴であり、非人同然であるに拘らず、成功した暁には、その発祥民族を酷使虐待する、なるほど、その俑《よう》を作ったのは秀吉でありましょう、それに輪をかけ、箍《たが》をはめたのは徳川氏です」
「左様、徳川氏の農民政策に就いては、拙者も心がけて少々研究を試みていないでもありませんが……」
と言って、そこで、今度は、またも徳川氏の農民政策問題に復帰して、おのおのその懐抱を傾けて語り合いましたが、落つるところは、神尾主膳が百姓を憎むところの根拠の裏を行っているようなもので、徳川家直参の旗本であることを誇りとする神尾主膳が、極力農民を侮辱している。それは、やはりこの大菩薩峠の「恐山の巻」の百四回のところから見るとよくわかる。

 神尾は生れながら、百姓というものは人間ではない――ものの如く感じている。
 それは当然、階級制度の教えるところの優越性も原因であることには相違ないが、それほど神尾というものが百姓を、忌《い》み、嫌い、悪《にく》み、呪《のろ》うというのは、別にまた一つの歴史もあるのです。
 それは、神尾の先祖が、百姓を搾《しぼ》ろうとして、かえって百姓からウンと苦しめられ、いじめられている。神尾の祖先のうちの一人が、自分の放蕩濫費の尻を、知行所の百姓にすっかり拭わせようとしたために、百姓一揆《ひゃくしょういっき》を起されて家を危うくしたことがある。
 体面の上からは勝ったが、事実に於ては負けた。領主としての面目はかろうじて立ったが、内実は百姓の言い分が通ってしまったのだ。
 だから、心ある人は、それから神尾の家風を卑しむようになっている。
 その歴史が、今も神尾を憤らせている。百姓というやつは厳しくすれば反抗する、甘くすればつけ上る――表面は土下座しながら、内心ではこっちを侮っている。最も卑しむべき動物は百姓だ――これには強圧を加えるよりほかに道はないと、それ以来の神尾家は、代々そう心得て百姓を抑《おさ》えて来ていた。今の神尾主膳も、百姓を見ると胸を悪くすること、この歴史から来ている。
 この点に於て、神尾主膳は
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