留まりあそばせ、天の成せるものを、人の力で破壊することは宜《よろ》しくありませぬ、身体髪膚の教えもございます、あなたのその若い美しいお面を灼きこわしてまで、わたしたちは助力を願うのに忍びませぬ」
面を灼くと言ったために、夫人の心がいたく傷つけられたのを見て、梶川少年は取りつくろって申しました、
「拙者とても、強《し》いて、そんな事をしたいのではありません、岡崎街道で、ああいうことをしでかして来ていますから、万一を慮《おもんぱか》っての覚悟なのです」
「もし、そういうことを実行なさる場合には、前以て、必ず一応、わたくしに御相談をなすってからのことにして下さい」
「承知いたしました」
「わたくしたちの目的のためには、あなたに指導者になっていただかなければならないから、あなたの一身上のことについては、わたくしが年上ですから、姉でありますから、わたくしの許しなしには、髪の毛一筋でも自由になさることは許しませぬ」
「は、は、は、これはきつい御命令を承りました、委細心得てござりまする」
ここで二人の睦《むつ》まじやかな会議、新たに意気相許す一対の姉と弟が出来上りました。
九十五
胆吹の御殿ではお銀様が憤《いきどお》っている。
お銀様は絶えず憤っている人である。その人が、憤りの上にまた一つの憤りを加えた。
何を憤っている。
お雪ちゃんという子が、恩を忘れて裏切りの冒涜《ぼうとく》の行動をしている、それを憤っているのか。そうではない。
竜之助という男が、無制限の放縦と、貪婪《どんらん》と、虚無に盲進する、それを憤っているのか。そうでもない。そんなことはこの暴女王にとっては、憤慨ではなくて、むしろ興味である。
そもそも、この暴女王が今日に及んで、かくも深く憤りを発しているという所以《ゆえん》のものは、己《おの》れの夢想する王国が、土台からグラつき出したから、それを見せつけられるがために憤っているのに相違ない。
人間というやつは度し難いものだ、人間というやつは救うよりは殺した方が慈悲だ、とさえややもすれば観念せしめられることの由を如何ともし難い。
ナゼならば、彼女は己れの強力を傾注して、有象無象《うぞうむぞう》をよく生かしてやらんがために事を企てているが、ここに来る奴、集まる奴にロクな奴はない! いや、ここに来る奴、集まる奴にロクな奴がないので
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