いうことを知って下されば、これからの探索にも有利であろうと思います、そこに心当りがあればこそ、わたしは存外簡単に目的が達せられるのではないかと、こう思いましたものですから、強《し》いて弟を振捨てて帰って参りました」
奥方からこう言われると、前にかしこまっていた梶川少年は、充分それを納得して、附け加えて申します、
「拙者も実は、奥方のお心持を左様に忖度《そんたく》しておりました、それのみならず、関ヶ原まであの夜の曲者を追いかけた時に、あれがどうしたものか、途中で何者かのために辻斬られている、その死骸にぶっつかって、篤《とく》と見定めて置いたのです。彼が暫くの間でも、御当家へ下郎として仕えていたということ、金子《きんす》も取るには取ったが、それは無事に戻ったにかかわらず、下郎の分際として、何の役にも立つまじき系図に目をかけたことと、その系図だけが紛失していること、それらから考え合わせて、これは背景があるのだと直感しましたから、その時、下郎から相当の証拠を集めて置きました。これから清洲へ帰って、あの下郎の身元を洗ってみれば、それからだいたいの当りがつくように信ぜられましたから、奥方様に先立って、ひとりこちらへ引返すことを主張しましたのです。それには幸いに伊都丸君が一行を引具して、相変らず旅路を続けられるということがかえって好都合でした。あなた様と拙者とが、立戻って来ているということが知れては、先方が警戒しますけれども、今宵のことは誰も知りません、今後も、あなた様は決してお座敷を離れてはいけません、万事の奉仕は拙者一人が致します、出入りの者にも感づかれてはなりません。拙者は大丈夫です、こうして昔と変った仲間小者のいでたちで、留守居を頼まれたようにしていれば、誰も怪しむものはありません、ことにここは一城廓とも言っていい別天地ですもの――そうして、名古屋城下に程遠くもない地の利を占めていますもの、ここを根拠として、これから名古屋城下を隈《くま》なく、私がたずねます。万一、見知る者があってはと存じ、面《かお》を少々|灼《や》くことに致しました」
梶川少年から、頼もしい限りの言葉を聞かされた銀杏加藤《ぎんなんかとう》の奥方は、その最後の一句に至って、美しい面を曇らせて、
「それはいけませぬ、面を灼くとおっしゃいましたね、梶川様、どういうことをなさるのか知れないが、それだけは思い
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