だ、だが三百年来の徳川の旗本となってみると、痩《や》せても枯れてもそうはいかないからな……」
「上げたり下げたりもいいかげんになさい、いかに鐚の面がいびつになりたてにしてからが、それじゃあんまりお言葉が過ぎます、そこまでお見限りでは、鐚は泣きます、口惜《くや》しい」
「いいよ、いいよ、そう昂奮すると創《きず》にさわる、退屈まぎれに貴様に試験をかけたまでだ、試験問題一切、水に流すから心配するな、そうして、もうそんな七むずかしい問答はやめて、もっと面白い、貴様のおはこの陽気なやつを喋《しゃべ》れ……今度はおれが聞き役になってやる」
かくなだめられて、本来おっちょこちょいの鐚はたちまちケロリとして、
「ではひとつ、洋妾《ラシャメン》立国論以来の、鐚独創の名趣向をお聞きに入れますかな」
「聞かしてくれ」
「ではひとつ、その洋妾立国論以来の……」
「洋妾立国論は、貴様の身上としては、なかなか聞ける説だよ」
「共鳴にあずかって恐悦……すべて議論というやつは、知己を待ってはじめて言うべきでげして」
「洋妾立国論には相当に信者が出来たか」
「出来た段じゃございません、今や信仰の域を過ぎて、実行の境にまで漕ぎつけているんでございまして……」
鐚は、己《おの》れの日頃の持論である「洋妾立国論」を神尾から揶揄《やゆ》されて、かえって得意満々の色を見せました。彼の珍論「洋妾立国論」なるものは、本小説「恐山の巻」の百二回から百三回までのところを見るとよくわかるが、その要領は次の如きものです。
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「現に相州の生麦村に於て、薩摩っぽうが、無礼者! てんで、毛唐を二人か二人半斬ったはよろしいが、その代りに、みすみす四十四万両てえ血の出るような大金を、異国へ罰金として納め込まにゃなりやせん、長州の菜っぱ隊が、下関で毛唐の船とうち合いをして、日本の胆ッ玉を見せたなんぞとおっしゃりますが、その尻はどこへ廻って来《きた》りましょう、みんな、徳川の政府が、このせち辛い政治向のお台所から、血の出るような罰金として、毛唐めに納めなきゃあならない次第でげす――そこへ行きますてえと、何といってもエライのは日本の絹と、ラシャメンでげすよ、日本の絹糸は、どしどし毛唐に売りつけて、こっちへ逆にお金を吸い取って来る、それからラシャメンでげす、ラシャメンというと品が下って汚いような名でげすが、名を捨
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