ないから、ある一定の時機に、団体を催して程近い温泉場を征服するということは、年中行事の一つになっている。
その一日の行楽だと知ってみれば、彼等の眼では、七兵衛といえども御同行《ごどうぎょう》の一人で、同じ団体で、日頃あんまり面《かお》の売れていない方の口だと見過ごされているだけのものである。
ここで七兵衛も、すっかり安心したものだから、いい気になって、では自分もひとつ、この団体の臨時会員の一人に加えてもらおうと、抜からぬ面《かお》で、小屋がけの中へ自分の着物を態《てい》よく脱ぎこみ、手拭をとって、野郎組の方の野天風呂へとお辞儀なしに飛び込んでしまいました。
河の岸を掘りひろげた天然の浴場はかなり広いけれども、それに混み入る人の数も夥しい。大仰《おおぎょう》に言えば、桝《ます》に芋の子を盛ったようなたかり方だから、七兵衛の韜晦《とうかい》にはいっそう都合がよいというもので、ちょっと鼻の先で空世辞を言いながら、人の蔭に隠れて、湯の中へ身を沈め、芋こじりの御多分となって、いい気持で面を撫《な》でていること至極妙です。
七兵衛はすっかり安心しきって、人混みに隠れて湯にぴったりとつかり込んでいると、おのずから周囲の人々の人情風俗がうつってくる。
新田《しんでん》の仁兵衛が高らかに陸稲《おかぼ》の自慢をする、沢井の太平が大根の太いことを語ると、山崎の文五郎が刀豆《なたまめ》の出来栄えを心配する、草花の娘ッ子はよく働くが、淵の上の後家はおしゃらくだ、というような噂《うわさ》が出る、自分たちの旅の経験や、あたり近所の温泉の効目《ききめ》を並べる。
そういう話を聞き流しているが、なにしろ辺土のことだから、そう七兵衛の耳を惹《ひ》くようなすぐれた珍聞もない。無意識に人の頭数を数えてみると、ざっと七十ばかりはある。婆さん連のはしゃぎ方などは、平気でこの野郎風呂へ乗込んで来るが、妙齢の娘たちは別に一団をなして、彼方《かなた》の一槽を占領していることは七兵衛が最初に見た通りです。
いずれを見ても山家育《やまがそだ》ち――
と、山家育ちを売り物の七兵衛自身ですらが、苦笑するほどの連中ばかりです。ことほど、それほど、七兵衛も浮世離れした気分になって、多数の後ろで、悠々閑々と耳もとを撫でたり、また珍しくもあらぬ奥州弁の国自慢に耳を傾けたり、ここでなるべく多くの時間をつぶした方が都合
前へ
次へ
全183ページ中133ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング