お》をとどめて、それから二人は打寛《うちくつろ》いで、充分にこの清夜を楽しむことになりました。
覆面の棹主《さおぬし》が竜之助であり、周旋する女の子がお雪ちゃんであることは、申すまでもありません。
「先生、この辺は遠浅らしうございます、舟はこのままにして置いて、おらくにおいで下さいませ」
と、お雪ちゃんに言われて竜之助は、棹をさし置き、改めてその覆面を取ってみた竜之助の面《かお》は、以前とさして変りはありません。
そうして、お雪ちゃんのすすめる座蒲団《ざぶとん》の上に坐ると、その間にお雪ちゃんは、重詰をあけ、銚子を取り出して、御持参の酒肴を並べ、
「お一つ、いかがでございます」
と言って、盃《さかずき》をさし出したものです。竜之助はそれを軽く受取って、
「静かだね」
「全く静かでございますよ、今晩はどうしたのか、舟がちっともおりません」
「舟のない湖というものは、想像してもすさまじい」
「火のない火鉢と同じように」
「だが、水入らずに楽しめてよい」
「その点は、気兼ねがなくってよろしうございます、ほんとに、お銀様には済みませんが、あなた様の御不自由なお住居《すまい》では、少しは外出《そとで》ということをなさいませんと」
「お雪ちゃんのおかげだ」
「わたしとしましても、おかげさまで気晴しができようというものでございます」
「そうさ、なにしろ拙者などは、只《ただ》でさえ不自由千万な身を、更に監禁を申し渡されているんだからやりきれない」
「どうして、お銀様という方は、あなたをちょっとも外へお出しにならないのでしょうか」
「あぶないからなんだね」
「危ないと申しましても、子供ではございません……ホ、ホ、ホ、失礼な言い方でございますが、わたしを、こちらへおよこしなさる時も、時々、お前が介抱して外へお出しなさいとは、決しておっしゃいません、決して外出させないように、とばかりおっしゃいました」
「それを、お雪ちゃんによって救われたことが嬉しい」
「でも先生、お銀様に対しては反逆でございますね」
「は、は、は」
と竜之助は、快く盃を引き、お料理を食べました。
「わたしも嬉しうございます、けれども、あとが怖いのです」
「怖いことはないよ」
「叱られますもの」
「殺されるかも知れない」
「ほんとに、殺されてもかまいません、わたしも覚悟の前でございます」
「そんなことは考えないがよい
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