ば、いつかは実現せらるべきほどの可能性はあり得る問題なのです。
それはさて置き、この際、右の運河説が、人心を聳動《しょうどう》したのです。摂津、河内の農民は大挙して、その風聞の実現せざらんことを、歎願の名で湖辺の大名へ向って上申のために上って来たという。一方また、湖水が干上るために、己《おの》が生活権が脅威せらるるという湖上の運輸業者と、漁民が動揺をはじめたのです。ところで、これより以前、検地の不平のために団体運動を続けて、それぞれに屯《たむろ》して待機している農民たちの同勢と合流しない限りもあるまい。
すでに、それが合流した以上になると、その動揺の程度が、水陸両面にわたって展開されることになる、そうなっては逃《のが》れる道がない。まず当面の安全のために、旅籠《はたご》は旅客を処分して、一時応急の避難をさせてからともかくも、という段取りは、しかるべきものでした。
五十四
暫くあって、人心が落着いてみると、この風説には、右のような根拠がないではなかったが、それもこの際、急速に実行につくというような形跡は全くなく、且つまた、摂河泉の農民が大挙して、切割の中止歎願に来るというような事実は、跡かたもない風説だということがよくわかりました。
従って、昨今暴動の形跡ある農民一揆《のうみんいっき》と合流するなんぞということのおそれは、全く解消してしまったし、農民連もまた、それを機会に示威運動を盛り返そうというほどの熱心もなし、事実は、この時、すでに農民運動は、表面的鎮静に帰してしまったといってよろしい状態に置かれてありました。
そこで、真先に警戒した街道筋の人気から、まず鎮まって、暫くの間に鎮静に帰したのですけれども、その風説の及ぼす波動というものは、一応、響くだけ響かないと消えないものでして、大津、草津、膳所、彦根の人心が落着いた時分になって、長浜から北国筋が、盛んにさわぎ出してまいりました。
ことに、この方面は、上述のような開拓が行われた日には、直接に最も影響を受けることの多い土地ですから、日本海の方へすんなりと抜けてしまうまでには、風説が根を持とうとしている。
まず湖上の運輸業者が、この風説をしかと喰いとめ、それが漁民たちの思惑とがっしり[#「がっしり」に傍点]結びついて、彼等の面上には、いずれも生命線とぴったりした不安の色が、みるみる濃
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