あの人たちの心意気が、わたしは嬉しいわ、それが大和魂というものじゃなくって?」
「いずれにしても、あの村の人たちの運命は見物《みもの》だ、どうなることか、わしも、旅でなければ見きわめて行きたい気持にさせられる」
 兵馬は、この女から思わざる論理を聞かされて、改めて谷村を見おろし見直していると、女がまた言う、
「越前の敦賀港《つるがみなと》の沖へ乗り出すと、大昔、地震のために辷《すべ》り込んだ一村が、そっくり、山も、森も、林も、そのままで海の底に落着いているそうですね、天気の大へんによい日、どうかすると舟の上から、その村の家と、人が、そのまま沈んで見えることがあるそうです。幾年かの後、この村もそうなるんでしょう、舟で渡る、後生《ごしょう》のいい人だけが、沈んだ村の相《すがた》を舟の上から水底に見る――てなことになるんでしょう、お気の毒な運命ですけれど、美しい大和魂が、わたしは嬉しいわ」
 女は、しきりに大和魂を述べ立てるのが、兵馬にはおかしい。おかしいけれども、どこにか笑えないものがある。

         五十二

 この山間では、谷一つ、村一つが、数百年の歴史と共に、水底に没し去らんとして村人を悲しませているが、他の一方では、一つの湖水が全部|干上《ひあが》ってしまうという臆説のために、人民が動揺をはじめました。
 前のは、何を言うにも、飛騨の山奥の谷底の一村、しかも、誰も知らない村、たまたま知っている者は、畜生谷なんぞと人外境のように呼びかけて辱《はずか》しめている村、全村あげて悲しむとも、それに同情する者は、たまたま通りがかりの宇津木兵馬と、連れの芸者の福松ぐらいのものでありますが、一方、湖水が干上るということの危惧の下《もと》に動揺をはじめたのは、その事柄も、及ぼす影響も、無比のものでありました。
 それは全く比較にはならない。日本第一の大湖、近江の琵琶湖の湖水が全く干上ってしまうという風聞が捲き起って、湖上湖辺の人心をおびえあがらせてしまっているのです。たとえ流言蜚語《りゅうげんひご》にしてからが、そんなばかばかしい問題が起るべきはずのものではない。よし、また起ったにしたところで、一笑に附し去るべき程度のものだと排斥するのは、歴史と、実際と、人心の機微とを知らないものの言うことでした。琵琶湖の水が干上ってしまうという風説の根拠には、決して荒唐無稽ならぬ、
前へ 次へ
全183ページ中90ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング