木綿着物は身を助く、その余は我をせむるのみなり』――『その余は我をせむるのみなり』というところをよくお考え下さいませ。斯様《かよう》に申しますと、あなた方はまた、必ず不服をおっしゃるに違いない、それは天地というものは、かくの如く冷酷に奪いもするが、またそのように豊富に与えもする、しかるに人間の悪い政治になりますと、奪うばかりで与えるということをしない、搾り取るばかりで、恵みというものが更にない――と、こうおっしゃるに相違ございません。それは全くその通りでございます、さればこそ論語にも、苛政《かせい》は虎より猛なりと記してございます、私とても、その恐ろしい人間の悪い政治を、天地の力と同様に黙従しなければならぬと申すのではございませぬ。それはそれでございます、悪政は、人間力を極めて改める道、責むる道を講じなければなりません、同時に人間には、運命に楽しむ所以を知らしめないと、人間の心が片輪になるということを強く申し上げたいのでございます。今の世には百姓が卑しい、百姓がつまらない、百姓が利に合わない、百姓がいじめられる、百姓ほど苦しいものはないということのみが打込まれ、百姓ほど貴いものはない、百姓ほど楽しいものはない、という大きなる事実が教えられておらないのではないかと、私はそれを考えておりますのでございます。わたくしがもし、五体が満足に生み出されておりましたならば、私は職業として、何よりも農業を選んだに相違ないと存じますのでございます。先年、私が秋田の方に参りました時……」
 ここでようやく青嵐居士が、必死の勇を振って食いとめにかかりました。
「もうわかりました、大体わかりましたよ弁信さん、お前さんという人には全く降参します、おっしゃることも尤《もっと》もです、ですがね、天下の人は、みな太公望でもなければ、諸葛孔明でもなし、二宮尊徳でもございません、多くはその日暮しの空腹の民なんです、彼等は徳を持たず、楽しみを知らない意気地のない人間なんです、彼等が強者に対して立場を守らんとするには、多数団体の力を借りるほかにはどうにもならんでしょう――」
 絶望的に青嵐居士がこういう言葉を投げつけて、お喋り坊主の舌洪の関を食いとめにかかりました。

         四十四

 宇津木兵馬が芸者の福松を連れて、白山白水谷に向っての一種異様な道行《みちゆき》は、件《くだん》の如くにして続
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