すと、若党がそれを聞いて涙を流して言いました、
「それはお情けないお言葉でございます、亡き御主人様に子のように愛されておりましたわたくし、今この場に当って、奥様の敵討にお出ましになるのをよそに、どうしてこのお邸《やしき》を立去られましょう。下郎の命はお家のために捧げたものでございます、どうか、私めをもお連れ下さいまし、道中に於ての万事の御用は申すまでもなく、敵にめぐり逢いました時は、主人の怨《うら》み、一太刀なりと報いなければ、仮りにも家来としての義理が立ちませぬ。どうぞこの下郎をお召連れ下さいまし、たとえ私は乞食非人に落ちぶれましょうとも、奥様に御本望を遂げさせずには置きませぬ。もしお聞入れがなくば、この場に於て切腹をいたしまして、魂魄《こんぱく》となって奥様をお守り申して、御本望を遂げさせまするでございます」
思い切った体《てい》で、こう言い出しましたものですから、奥様も拒《こば》むことができません。
「それほどそちが頼むならば、聞いてあげない限りもないけれど、知っての通り、家にはそう貯えというものがあるわけではなし、永《なが》の年月たずぬる間には路用も尽きて、どうなるか知れぬ運命、わたしとしては、行倒れに倒れ死んでも、夫への義理は立ちます、いや、たとえ本望は遂げずとも、死んで夫のあとを追えば、それも一つの本望であるが、お前は縁あってわたしの家に使われたとは言いながら、譜代の家来というわけではなし、まだ若い身空だから、いくらでもよそへ行って立身出世の道はある、そうしたからとて、誰もお前に非をうつものはないけれど、わたしはそうはゆかない、わたしに代って敵を討つ身寄りがない限り、わたしというものはこうしなければ、家中《かちゅう》へ面向《かおむ》けがなりませぬ。ここをそちに聞きわけてもらいたいが、それほどに言われる志はうれしい。では、その覚悟で、わたしに附添うて下さい――頼みます」
「有難うございます、一生の願いをお聞き入れ下されて、こんな嬉しいことはござりませぬ」
そこで、主従が勇ましく敵討の旅に立ち出でました。
奥様にとっては、むろん夫の敵――下郎にとっては主人の仇、名分も立派だし、ことに主家の落ち目を見捨てない下郎の志は一藩中の賞《ほ》めものでした。
百二十八
旅へ出てからも、もとよりあり余る路用があるというわけではありませんから、主従は極めてつつましやかな旅をいたしました。
この間、若党の奥様に仕えることの忠実さ、道中は危ないところへ近寄らせないように、時刻もよく見計らって、宿へ着いての身の廻りからなにから、痒《かゆ》いところへ手の届く親切ですから、奥様としては、全く不自由な旅へ出たとは思われないくらいの重宝《ちょうほう》さでした。
この下郎の、こんな忠実な働きぶりは、今にはじまったことではなく、亡き夫のいる時分から邸に於て、この通り蔭日向《かげひなた》がなかったのですが、こうして旅へ出てみると、この親切さが全く骨身にこたえる。
奥様は、家来とは言いながら、蔭では手を合わせてこの下郎の忠実に感謝をしました。
「いわば一期半季の奉公人に過ぎないあの男が、こうまで落ち目のわたしに親切をしてくれる、人情も義理も、まだ地へは落ちない、家来とは言いながら、思えば勿体ない男……」
と奥様は、表では主人としての権式《けんしき》を保っていましたけれども、内々では、杖とも柱とも頼みきっておりました。
奥様とはいうけれども、若党とは年こそ十も違っているけれど、中年の武家の奥様として、申し分ない和《やわ》らかみと、品格を持っておりました。
若党は百姓の出でしたが、面つきだって凜々《りり》しいところがあり、それに、がっちりしたいい健康と、それに叶う肉体を持っておりました。
こうして主従は、心の中で感謝したり満足したりしながら、敵をたずねて旅の日を重ねたのですが、もとより当りがあっての旅ではないのです――明日敵にめぐり逢えるか、十年先になるか、そのことはわからないのです。
そうして行くうちに、奥様は、旅の前途が心細くなればなるほど、この男を頼む心が強くなるのは当然です。頼られれば頼られるほど、奥様をいとしがるのが男の人情です。奥様の路用がだんだん軽くなるのを察した若党は、奥様に知らせないように、路用の足しを工面《くめん》することに苦心しました。お米の小買いをして来て、木賃で炊いて食べさせたり、畑で野菜を無心したり、漁場で魚を拾ったりなどして、奥様のお膳に供えることもありました。奥様はそれを知って、胸には熱い涙を呑みながら、表には笑顔をもって箸《はし》をとりながら、世間話に紛らしたものです。
奥様の心の中は、この下郎に対する感謝と愛情でいっぱいです。奥様はこの若党に、まあ、どうしたらこの男に、この胸いっぱいな感謝の心を見せてやることができようかと、奥様はその思いに悶《もだ》えました。でもさすがに、武家の奥様でございますから、厳格なところはどこまでも厳格でございました。質朴な若党は、主人の奥様に対して忠義を尽すことは、あたりまえのこととしか考えていなかったのですが――いつしか、この奥様の自分に頼りかたが、全く真剣であることを感じて、それが全く無理のないことと思いやった上に、自分もどうしても、もう他人でないような親身の思いに迫られて来るのです。
さあ、長い月日の旅、この主従がいつまで主従の心でいられましょうか――二人のおさまりがどうなりますか。
あなた、判断してみて頂戴よ。
と、女がまたクルリと寝返って、兵馬の方に向いてニッコリと笑いかけました。
百二十九
長浜から、琵琶湖の湖面へ向って真一文字に、一隻の小舟が乗り出しました。
舟の舳先《へさき》の部分に、抜からぬ面《かお》で座を構えているのが、盲法師《めくらほうし》の、お喋《しゃべ》り坊主の弁信であって、舟のこちらに、勢いよく櫓《ろ》を押しきっているのが、宇治山田の米友であります。
これより先の一夜、胆吹《いぶき》の上平館から、机竜之助の影を追うて飛び出して来た宇治山田の米友が、長浜の町へ来てその姿を見失い、そうして、たずねあぐんだ末が湖岸の城跡に来て、残塁礎石《ざんるいそせき》の間に、一睡の夢を貪《むさぼ》っていた宇治山田の米友であります。
胆吹の御殿から、胆吹の山上を往来していた弁信法師もまた、飄然《ひょうぜん》として山を出て、この長浜の地へ向って来たのです。
米友がここへ来たのは、竜之助の影を追うて来たのであるが、弁信の来たのは、竹生島へ詣《もう》でんがためでありました。
弁信法師が竹生島へ詣でんとの希望は、今日の故ではありません。
彼は習い覚えた琵琶の秘伝の一曲を、生涯のうちに一度は竹生島の弁財天に奉納したい、というかねての希望を持っておりました。
今日は幸い、その希望を果さんとして、これから舟を借りて湖面を渡ろうとして、長浜の町から臨湖の渡しをたずねて来たのですが、そこは、勘がいいと言っても盲目のことですから、湖と陸との方角は誤りませんでしたけれども、臨湖の渡しそのものが湖岸のいずれにありやということを、たずねわずろうて、そうして、ついこの湖岸の城跡のところまで来てしまったのです。
この湖岸の城跡というのが、そもそも名にし負う、羽柴秀吉の古城のあとなのでありました。秀吉が来るまでは今浜といったこの地が、彼が来《きた》って城を築くによって、長浜の名に改まりました。はからずここへ足を踏み込んで、弁信法師は杖《つえ》を立てて、小首をかしげてしまったのは、湖岸としての感覚と、古城址としての風物が、その法然頭《ほうねんあたま》の中で混線したからではありません。そこで、意外にも、例の残塁破壁の中に、動物の呼吸を耳にしたからであります。
思いがけなくも、何か一種の動物があって、この残塁破壁の中で、快く昼寝の夢を貪って鼾《いびき》をかいている。
それが弁信法師の頭へピンと来たものですから、杖を止めてその小首をかしげたのですが、これは、虎《こ》でもなければ※[#「「凹/儿」」、第3水準1−14−49]《じ》でもありませんでした。本来、琵琶湖の湖岸には左様に猛悪な猛獣は棲《す》んでいないのですが、そうかといって、穴熊の如きがいないという限りはない。
しかし、幸いに、穴熊でもなかったと見え、弁信が小首を傾けた瞬間に、向うがハタと眼を醒して、
「誰だい、そこへ来たのは」
と言ったのは、まごうかたなき宇治山田の米友であったのです。
紛う方なきといっても、知っているものは知っているが、知らないものは知らない。まして、弁信はまだ米友を知らず、米友はまだ弁信を知らなかったのですが、ここで初対面の二人は、存外イキの合うものがありました。
一見旧知の如しという言葉もあるが、弁信は米友を見ることができないから、一勘旧知の如しとでもいうのでしょう――こうして二人は、湖岸の古城址の間で、相対して問答をはじめました。
百三十
湖岸に於ける二人の初対面の問答を、いちいち記述することは保留し、とにかく、それから間もなく二人は、こうして真一文字に舟を湖面へ向って乗り出したのです。
勢いよく、小舟の櫓《ろ》を押しきっている宇治山田の米友は、櫓拍子につれて、
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十七姫御が
旅に立つ
それを殿御が
聞きつけて
とまれ
とまれと……
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思わず知らず、うたい慣れた鼻唄が鼻の先へ出たのですが、何としたものか、急に、ぷっつりと鼻唄を断ち切った時、そのグロテスクの面に、一脈の悲愴きわまりなき表情が浮びました。
そこで、ぷっつりと得意の鼻唄を断ち切って、悲愴きわまりなき表情を満面に漲《みなぎ》らしてみたが、やがて櫓拍子は荒らかに一転換を試みて、
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さっさ、押せ押せ
下関までも
押せば
湊《みなと》が近くなる
さっさ、押せ押せ
それ押せ――
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実に荒っぽい唄を、ぶっ切って投げ出すような調子に変りました。
唄が荒くなるにつれて、櫓拍子もまた荒くなるのです。
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さっさ、押せ押せ
下関までも
押せば
湊が近くなる
さっさ、押せ押せ
[#ここで字下げ終わり]
以前の調子に比べると、鼻息も、櫓拍子のリズムも、まるで自暴《やけ》そのもののようです。
自然、小舟の動揺も、以前よりは甚《はなは》だ烈しい。しかし、抜からぬ面で舳先《へさき》に安坐した弁信法師の容態というものは、それは相変らず抜からぬものであり、穏かなものであると言わなければなりません。
それからまた、湖面の波風そのものも、以前に変らず、いとも静かなものだと申さずにはおられません。
湖も、波も、人も、舟も、すべて穏かであるのに、漕ぎ手だけが突変して荒っぽいものになってしまい、
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船頭かわいや
おんどの瀬戸で
こらさ
一丈五尺の
櫓がしわる
さっさ、押せ押せ
下関までも
さっさ、押せ押せ
さっさ、押せ押せ
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そのたびに、櫓拍子が荒れるし、舟が動揺する。最初に、十七姫御が……と言って、古城の岸から漕ぎ出された時は、漕ぎ出されたというよりも寧《むし》ろ、辷《すべ》り出したような滑らかさで、櫓拍子もいと穏かなものでありましたのに、この鼻唄が半ば過ぎると急に、序破急が乱れ出し、唄が変ると共に呼吸が荒くなり、櫓拍子がかわり、舟が動揺し出しました。
舟というものは、風と波とに弄《もてあそ》ばれることはあるが、風も波も静かなのに、人間が波瀾を起して、現在その身を托している舟そのものを弄ぼうということはあり得ないことですから、その動揺の烈しさにつれて、さすがの弁信法師も、つい堪りかねたと見えて、
「米友さん――どうしました、舟の漕ぎ方が少し荒いようですね」
さりとて、弁信も特に狼狽《ろうばい》仰天して、これを言ったのではありません。相変らず舟の一方に安坐して、抜からぬ面《かお》で言いました。
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