譜代の家柄でもなんでもない、いわば只の農民なのだ」
「えッ、近藤は幕臣じゃないのか」
「幕臣と見るよりは、農民と見た方がよろしい、本来、徳川家には縁もゆかりもない人間なのだ」
と南条力が答えました。坂本は、近藤勇そのものの名声は聞いているが、その素姓《すじょう》はよく知らないらしい。南条は、かなり明細に近藤の素姓を知っているらしい。というのは、東方をあまねく探索しているうちに、各方面を洗えるだけは洗っている。近藤勇の素姓についても、少なくとも坂本らの知らざるところを知っているらしい。
「そうかなあ、おれは、幕府生え抜きの旗本だとばっかり信じていたよ、いったい、どこの生れなのだ」
 坂本から尋ねられて、南条は少々得意になり、
「あれは、武州多摩郡の出身だ」
「ははあ、武州か、じゃあ、江戸の圏内と言ってよかろう、幕臣とみなしてもいいじゃないか」
「江戸の幕臣とみなされることは、彼の名誉とするところじゃあるまい、むしろ、彼は武蔵の国生え抜きの土着の民ということを、本懐としているに相違ない。何となればだ、今の徳川の旗本にはあれだけの男を産み得られないのだ、智者はある、通人はある、アクは抜けている、だが、今の徳川旗本にはあの蛮勇がない、勝《かつ》のような滅法界の智者はいる、山岡鉄太郎がどうとか、松岡万《まつおかよろず》がこうとか、中条なにがしがああのと言うけれど、皆、分別臭い、問答無用でやっつける奴がいない、皆、利口者になり過ぎている、原始三河時代の向う見ずは一人もいないのだ。近藤勇に至ると、それらと類型を異にしている、人を殺そうと思えば、必ず殺す男だ」

         百六十三

 南条の言葉を聞いて、坂本も頷《うなず》きました。
「そいつは拙者も同感だ、三百年来の徳川、智者も、勇者も、相当にいないはずはなかろうが、要するにみな分別臭い、蛮勇がない、三河武士の蛮骨が骨抜きになってしまっている」
「近藤が用いられるのもそこだ、たとえばだ、彼は剣客として相当の腕は腕に相違ないが、それは当時二流と言いたいが、三流四流どころだろう、彼は天然理心流というあんまり知られない流名を学んで、市ヶ谷あたりに、ささやかな道場を構えていたものだが、それも、千葉や、桃井《もものい》や、斎藤に比ぶれば、月の前の蛍のようなものだ、はえないこと夥《おびただ》しいが、さて真剣と実戦に及んでみると、あれだけの胆勇ある奴はあるまい。山岡鉄太郎などをいやに賞《ほ》める奴があるが、要するに、あれは分別臭い利口者だよ、暴虎馮河《ぼうこひょうが》のできる男でもなければ、身を殺して仁を為せる男でもない。そこへ行くと、我輩はむしろ敵ながら近藤の蛮勇をとるよ。近藤や土方《ひじかた》は、討死のできる奴だが、勝や山岡を見てい給え、明哲保身とかなんとかで、うまく危ないところを切り抜けて、末始終は安全を計る輩《やから》だから見てい給え、我輩は、勝や山岡流の智勇よりは、近藤土方流の愚勇を取るよ――そうして、勝や山岡は、祖先以来禄を食《は》む幕臣だが、近藤、土方は、今いう通り幕府に養われた家の子ではないのだが、古来の坂東武者の面影は、寧《むし》ろああいうところに見る。本当に強い奴は旗本にはいない、田舎《いなか》にいる、武蔵相模の兵だけで、日本六十余州を相手として戦えると大楠公《だいなんこう》も保証している、その武蔵相模の土着の蛮勇の面影は、あの近藤、土方あたりに見られる! 幕臣は駄目だ」
 南条は、自分が親しく観察して来たところを、雄弁にぶちまけると、坂本も頷いて聞いていたが、
「それは近藤自身も言っているよ、『兵は東国に限り候』と手紙に書いてあるのを見たことがある。近藤あたりから見ると、さしも西国の浪士共でも食い足りない、甘いものだ――と見ている」
「そうだろう。だが、東国といっても、江戸という意味じゃない。そこへ行くと、近藤、土方を出した武州多摩郡の附近は一種異様な土地柄で、往古の坂東武者の気風が残っていて、そこへ武田の落武者だの、小田原北条の遺類だの、甘んじて徳川の政治に屈下することを潔しとせざる輩《やから》が土着し、帰農した、だから、どこの藩にも属していない、天領ということになっているが、他の天領とも趣を異にしている。いったい、徳川家康は、甲州武田を内心大いに尊重していたものだ、武田亡びて後、その遺臣を懐柔するために、千人同心というのを、その武州多摩郡の八王子宿に置いて、日光の番人だけをすればいいことにして置いた、そういうわけで、この辺の人気は藩によって訓練されていない、従って、人間に野性が多分に残っている――アクを抜かれ、骨を抜かれてしまった三河武士とは、全く別類型にいるのだ」
「なんにしても、近藤一人がこの都大路に頑張っていると、相当命知らずの天下の志士豪傑連が、オゾケをふるって
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