お前さんは、いい人相だねえ」
と、矍鑠たるお婆さんは二度《ふたたび》繰返して言いますと、
「へ、へ、へ」
と、与八は相変らず人の好い笑面《えがお》を以てこれに答えました。
いい人相だと言われたために、はにかむでもなく、またいやに卑下謙遜するでもなく、先方の好意を好意だけに受けることを知っておりました。
矍鑠たるお婆さんは、どうしても与八の人相をそのままでは見過しはできないという執心ぶりでしたが、
「お前さんのような、いい人相を、今まで見たことがありませんよ」
「へ、へ、へ」
と与八は所在なさに、手拭で郁太郎の頭から面を、押しかぶせるようにブルッと一つ撫で卸してやると、お婆さんは、
「それじゃ、まあ御免くださいよ」
と言って、クルリと向き直り、入口へ腰を卸して早くも草鞋を取ってしまいました。
草鞋を取ってしまうと、与八の傍へ寄って来て、
「お前さん、いくつにおなりだえ」
改めて年齢を聞かれたので、与八は、また改めて答えました、
「数え年の四つになりますでございますよ」
「違うよ、わたしは、その子供さんの歳をたずねているのじゃありませんよ、お前さんの歳を聞いているのですよ」
「はあ、わしでございますか、わしは二十《はたち》でございますよ」
「二十――なるほどね」
とお婆さんが、また深く感心してしまいました。
前に感心したのは、その人相がいいということでありました。しかし、今の返答ぶりで見ると与八は、この矍鑠《かくしゃく》たるお婆さんから、自分の人相がいいといって感心されたことをお感じがなかったようにも見える。何となれば、改めて年齢を聞かれた時に、数え年の四つだと答えました。
してみると、いい人相だと賞《ほ》められたのは自分でなく、自分の抱いているこの郁太郎のことだとばっかり考えていたのに相違ない。与八としては、今までずいぶん、自分の体格がいいということは、人からほめられるに慣れている。かっぷくがいいということだけは、子供の時分から賞められているから、これは今では人も称し、自らも称すことになっている。それから次に、力がある、力量が非凡であるということも、それを発揮した時に人から認められもし、驚歎されもすることに慣れきっているけれども、特にこうして「人相がいい」ということを頭から感歎されたことは、あまり例がないのです。
感心するならば、こうして、素裸《すはだか》で、肉体をたっぷり漬っているのだから、まず誰もがするように、「いい体格ですねえ」とか、「たいしたかっぷくですねえ」とか、まず、感歎の声を放つのが例であるべきのに、この矍鑠たるお婆さんは、肉体のことなんぞはてんから問題にしないで、いちずに「いい人相」ということに感歎これを久しうして、それでも足りないで、「お前さんのような、いい人相を、今まで見たことがありません」と、最大級に附け加えたことです。
「へ、へ、へ」
そうなってみると、与八も多少気恥かしいかして、こんどは眼を伏せて、郁太郎の肩を和《やわ》らかに撫で出しました。
八十五
やがてお婆さんは、いちいちその衣裳を解いて笊《ざる》の中に納めました。
このお婆さんは、出入りばなに与八の人相をほめ上げただけで、この浴場に対してはなんらの挨拶をしませんでした。済みませんがどうぞ一風呂振舞っておくんなさいまし、ともなんとも言わずに、早くも衣帯を解いて入浴を試みようという態度は、当然入浴を為《な》し得る権利があるものかのように見えます。たとえ無料で施しのための湯であるとはいえ、何かそこには辞儀と挨拶がなければなるまいに、このお婆さんの態度が無遠慮なのは、故意にするわけではなく、多分、与八の人相そのものを鑽仰《さんぎょう》することに急で、挨拶の方も、お礼の方もお留守になっているうちに、すっかり忘れてしまったものでしょう。
その時分に、与八はおもむろに湯槽から郁太郎を抱いて上って来ました。郁太郎の身体《からだ》を拭いて、着物を着せてやり、笊の傍に坐らせて置いて、自分は裸一つのままで番台の方へ行きましたが、土間を見ると、お婆さんの穿《は》いて来た草鞋《わらじ》が無造作に脱ぎ捨てられているのを見て、与八は、こごんでその草鞋を丁寧に取り上げると、それをじっと二つの手を以て押しいただいてから、傍らの番号を打ってある下駄箱の中へと納めました。
その時分は、お婆さんの方は、早くも湯槽に身を漬けておりました。与八、郁太郎が上ってしまってから、湯槽の中はお婆さんの一人湯です。
そこで、いい気持そうにお婆さんは唸《うな》りながら、面《かお》を拭いて、こちらをながめておりましたが、今、与八が自分の草鞋を押戴いて棚の中へ納めたのを見て、一時、眼を皿のようにしましたけれども、また、改めて、にっこりと心持のよい笑い方をして
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