したが、だんだんわかってきてみると、全く感心させられてしまうところがありますのよ。それは、あのお嬢様には、性格としてはずいぶん欠点もございますけれども、それはあの方の周囲の境遇がさせたものだということがよくわかってみますと、わたしはあのお銀様の本質は、どちらから見ても立派なものだとしか思われません。だんだんにお銀様の怖いところがなくなって、その偉いところに感心させられるようになってしまい、今ではあのお銀様の仕事のためならば、身体《からだ》を粉にしても助けたい、そのお志を成就《じょうじゅ》させてあげたいと、こんなに考えるようになりました。ですから、わたしは、もうこれから、あのお嬢様のために口説き役をつとめます、それこそ、いま先生のおっしゃる通り、誰でも、これぞと思った人はみんな誘惑してこっちへ引きよせることにはらをきめました」
「そうはらをきめられちゃあ、もう助からねえ」
道庵が悲鳴に類する声を上げるのを、お雪ちゃんが起しも立てず、
「ねえ、先生、ですから、京大阪を御見物になって後、一旦お江戸へお帰りになるならなるで、それはお留めはいたしませんが、お江戸の方をしかるべく御処分なすって、ぜひ、こちらへいらっしゃいね。ね、約束しましょう、げんまん」
「どうも、そう短兵急にせめ立てられちゃあ、道庵、旗を巻く隙もねえ」
三十六
こんな問答をしながら、薬園のあたりから道庵先生を程よいところまで送って、お雪ちゃんは、ひとり上平館へ帰って来ました。
帰って来るとお雪ちゃんは、目籠を縁側へ置いて、姉さんかぶりを取ると、いつものお雪ちゃん流の洗下げ髪を見せ、館《やかた》の工事場の方へ、とつかわと出て行ったが、そこには工事監督の不破の関守氏が行者のような風《なり》をして立って、早くもお雪ちゃんの来るのを認めている。お雪ちゃんが、
「関守様、あのお医者の先生とお薬草を調べに参りました、お銀様はまだお帰りになりませんか」
「それそれ、心配するほどのことはありませんでしたよ、お銀様は長浜の町へ行っていらっしゃるんで、今の先、使があったんだ。でね、ちょっと思い立って長浜まで出かけたが、ここへ来てみると、どうしても湖水めぐりをしてみたいとおっしゃって、これから長くて六日一日の間に八景を舟で一まわりして来るつもり、あとのところをお雪ちゃんと拙者に万事御依頼するから、よろし
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