ともに、遠目では、かく悠々閑々たるそぞろ歩きを続けているように見えるが、事実上は、歩みながら絶えず、往手《ゆくて》と左右の草原から、沼、橋、森蔭をまで、隈なく見透さんとした身構えで歩んでいるのであります。
 そのかなり細心に働いている首筋の異動と、眼光のつけどころを見ていると、ただ月に乗じて浮かれ出したものでないことは明らかであります。何か目的あって、それを探し索《もと》めるために出動したものと見なければならないのです。
 それが微吟となったり、閑話となったりして洩《も》れて来るのは、その目的に達する間の道草に過ぎないと思われる。
「先刻から聞いていると、君はその恐山の林崎明神のお堂で居合を修行したということだが、してみると君の居合の流儀は、林崎流の居合なのだね」
「いや、そうじゃないです、林崎明神というのは、恐山の一部にある名所の名でして、林崎流の居合とはなんらの関係がないです、僕の修行したのは浅山一伝流なんですが、それも純粋の浅山一伝流というには少々恥かしいでしてね、コツは習いましたけれども、やり方は未熟な自己流ですから、本場へ出て練り直さなければならない、と考えとるです」
「なるほど」
と白雲は頷《うなず》きました。この青年、いよいよ存外に謙遜と自省とがある。この謙遜と自省とがある限り、まだ修行が伸びる。
 というようにも感心してみたが、いやいや滅多に感心してはならない、青年や、愚者を、うっかり過分に賞《ほ》めてみせると、かえって生涯を誤ることがある。
「今、林崎流の居合のそのままの型は、どこに残っているか知らん。林崎を祖として、それから出でた流派は多いが、林崎流そのままの伝統を抜くというのはあまり聞かないね」
「そうです、浅山一伝流も林崎甚助から出たのです。先生、あなたも居合をおやりになりますか」
と、今度は柳田平治がたずね方に廻ると、田山白雲が、
「到底、君のように器用なわけには行かんけれど、一通り稽古するにはしたよ、僕のはちょっと変っている、鶴見流といってね」
「鶴見流ですか……」
「あまり聞き慣れない流名だろう、だが、それを伝えた老教士の口と、腕とには、なかなか敬服すべきものがあったねえ――その流祖の鶴見というのは、年代はよく知らんが、たしか戦国時代の人であって、一つ面白い逸話を聞いている、こういう話だ、まあ聞いて置き給え」
 打解けた物語りをしながら
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