の着物の着こなしも、朱珍の帯のしめっぷりもきちんとはしている。だがまた、いやに艶めかしいところもあって、寝そべって、細くて白い、そのくせ痩《や》せてはいないで、少し蒼味を持った肉附のいい両腕を、双方から、ぼんのくぼ[#「ぼんのくぼ」に傍点]あたりへあてがって、そうして甘えるような、また自暴《やけ》のような声で、
「つまんない」
と言いました。
 そうすると、つい、その戸じまり一重《ひとえ》次になった臨時お台所で、
「ツマンナイコト無イデス」
と言う、がんまり[#「がんまり」に傍点]した、その上、多分の寸伸びを持った応対。
 見ると、そこに、不器用な手つきで、焜炉《こんろ》を煽《あお》って何物をか煎じつつあるその男は、これはずいぶん変っていました。まず眼の色、毛の色が変っているのみか、その体格が図抜けて大きいのが何より先に眼につきます。これは、月ノ浦に泊っている駒井甚三郎の無名丸から脱走して来たマドロスに相違ありません。してみると、無論、この一方に寝そべって、「つまんない」と投げ出した、妙にじだらくな若い女の子は、右のマドロスにそそのかされて、共に駒井甚三郎の無名丸を脱走して来た兵部の娘に相違ないでしょう。いや、マドロスに誘拐されたのか、マドロスをそそのかしたのか、そのことはよくわからないが、こうして一方が不貞腐《ふてくさ》れの体《てい》で寝そべっているのに、一方が庖厨《ほうちゅう》にいて神妙に勝手方をつとめているところを見れば――位取りの差はおのずから明らかであって、つまり、女が天下で、男が従なのです。女が比較的にヒリリとして、男が多分に甘い。
「ああ、つまんない、つまんない」
 女の方がいよいよ自暴《やけ》になって、ほつれた髪の毛を動かすと、大男が、
「アア、ツマンナイコト、チットモナイデス」
「マドロスさん、お前の言ったことはみんな出鱈目《でたらめ》ね」
「デタラメデナイデス、本当デス」
「一つとして本当のことは無いじゃないか、この海を一つ乗りきりさえすれば、外には直《じ》きに大きな黒船が待っていて、わたしたちが着けば、その大きな黒船の上から梯子《はしご》を投げかけてくれる、それに捉まって上ってしまいさえすれば、もう占めたもので、あの黒船の中は、またとても外から見たよりも一層大きくて、美しくて、その中にはキャビンというものがあって、室内いっぱいの大きな鏡があって
前へ 次へ
全276ページ中18ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング