いことをしたから、咎めるんじゃありません、そんなに窮屈がらずに話してごらん」
「では話しますがね、お婆さん、こうなんですよ、わしゃ、どういうものか、あの草鞋《わらじ》を見ると、自分のもの、人様のものに限らず、むやみに有難くなり、勿体《もったい》なくなってしまって、つい押戴いてみる気になっちまう癖なんでござんしてね」
「変った癖ですね、どうしてまた、あの草鞋なんぞが、そんなに有難く、勿体なくなるもんだかねえ、足でどしどし地面の上を踏みつけて、その上、用が済めば道端へ投げ棄てられてしまう草鞋なんぞを、どうしてまた、そんなにお前さんが有難がるんだかねえ」
「どうしてったって、お婆さん――わしゃ、草鞋様、草鞋様と蔭では拝んでいるんでございますよ。お婆さん、あの草鞋様がねえ、まだ稲の時分に、田の中においでなさる時分には、あの頭へ重たいお米の穂を載せて、長いあいだ辛抱をしていておくんなすったそのおかげで、あたしたちがお米を食べられるようになるのです。それからお米が実ってしまったあとでは、藁《わら》というものになって、そうして、打たれたり、叩かれたりして、またいろいろ人間のためになって下さる。俵というものになって、今まで守り育てて、蔭になり、日向《ひなた》になって成長させた自分の子供も同様なお米を大切に包んで守ります。生きている間には、骨となり、身となって育て上げた自分の子供同様のお米を、死んでからは、皮となって守るのがあの藁なんでございます。すべて天地の親様の慈悲というものが、すべてこれなんでございますね。それからまたやっぱり、打たれたり、叩かれたりして、ついにはこうして草鞋とまでなって、重たい人間の身体や、牛馬の身体までも載せて、旅をさせたり、働きをさせたりして下さる――草鞋様は有難い、勿体ない」
 与八は、ここまで言いかけると、大粒の涙をぽろぽろとこぼしてしまいました。
 同時に聞いていたお婆さんが、
「うーん」
と深く唸《うな》り出して、いきなり背中を流している与八の手を外《はず》して突立ってしまいました。

         八十七

 お婆さんが、不意に突立ち上ったものですから、与八が呆《あき》れていると、早くもお婆さんは与八の後ろへ廻ってしまい、
「お前さんのような人に流してもらっては罰《ばち》が当る、今度は、お前さんを、わたしが流して上げる」
と、むりやりにお婆さ
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