ような感じのするところで、そのだだっ広い古びた一間にお銀様は、これも古風な丸行燈《まるあんどん》の下で、机に向ってしょんぼりと物を書いているところです。室内にあって、机に向って物を書きながらも、この人は覆面をとらないこと、昼の時と同じことでした。
 夜はもう静かなのです。長浜は静かな町ではあるけれど、時もかなり更けている。深夜というほどではないが、夕餉《ゆうげ》はとうに終って、夜具もなかなか派手やかなのが、いつでも寝《やす》めるように展《の》べられている。
 そこで、お銀様は筆を執って、巻紙をのべて、すらすらと書き出しました。手紙を書き出しているのです――その文言を調べてみると――お銀様は行成《こうぜい》を学んで手をよく書き、文章も格に入っているのだが、便宜上、その文言を現代的に読んで行ってみると、
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「今日は、長浜の大通寺へ行ってまいりました。なるほど、お話の通り、想像以上に立派でもあり、由緒のある建築でもございました。
しかし、これだけの建築にしましては、守るものが少々認識不足に過ぎるように感じました。勿体《もったい》ぶらないでいいようなものですけれども、もう少し大事に心得ていてもらってもいいと思いました。
ことに問題のあの『山楽《さんらく》』でございました。三間の大床いっぱいに、滝と、牡丹と、唐獅子とを描きました、豪壮にして繊麗の趣ある筆格は、まさしく山楽に相違ないと、わたくしは一見して魂を飛ばせるほどでございましたが、二度三度見ても飽くことを知らぬ思いを致しましたが、肝腎《かんじん》の寺を預る人たちは、山楽を山楽として認識しておりません、これが残念です。残念だけならいいけれども……」
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 お銀様は昼の見学の時の怨《うら》みを今、筆にうつしているところでありました。

         六十八

 お銀様は、さらさらと筆の歩みを続けて申します――
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「あの豪壮な山楽の壁画の前が、鼠の巣となろうとしています。なにも寺の人は故意にしているわけではありませんけれど、世の常の人が偉人に親炙《しんしゃ》していると、つい狎《な》れてその偉大を感じないといったように、これだけの山楽を傍に置きながら、山楽とも思わないで、心なき寺の人が、その床を物置に使っているではありませんか。
このぶんで行きますと、早晩あの
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