一頭が勢い込んで飛びかかったのを、ズバリ斬りました。
今度は竹の杖とちがって、致命的でした。斬ったというよりも、脇差を抜いて手軽く構えたところへ、犬が斬られに飛びかかったようなもので、顎《あご》の下から腹へかけて、鰻《うなぎ》を裂くように斬られた犬が、異様な叫びを立てて地に落ちると、もう動きません。
そうすると件《くだん》の黒い姿は、片手で軽く刀を構えたまま後退するのを、第二の犬が飛びかかった途端に、口が落ちました。ちょうど、狐の面のガクガクするあの部分だけが切って落されて地にあるのですから、鳴きかけた声の半分は地上で鳴き、半分は咽喉《のど》からはみ出したままで倒れて、仰向けに烈しく四足を動かしている。
そうして置いて、黒い影はなおじりじりと後退する。それをすかさず追いかけた第三の犬は、真向《まっこう》を二つに割られて、夥《おびただ》しい血をみんな地に呑ませて、へたばってしまいました。黒い影は、こうしてまた鼓楼の方へと後退する。
第四の犬が飛びかかるのを、脇差をちょっと横にすると両足を切って落してしまったから、二本足の犬が地上に不思議な恰好《かっこう》をして、鳴き立てずに眼をまわしている。
そうして置いて、黒い覆面が後退する。あとに残る犬共が、先後を乱して飛びかかる時分には、鼓楼の後ろの闇へ黒い姿は隠れてしまいました。
餓えたる犬共は、血迷い尽している。今までの単純な餓えと憤りのほかに、兇暴な復讐性と、先天的の猛獣性とが入り乱れて、相手の一人をあくまで追究して、その骨をまでしゃぶらなければ甘心《かんしん》ができないという執念に燃え出している。
ところが、鼓楼の背後でちょっと相手の姿を見失ってしまうと、犬共は塔に飛びつき、石に向って吠え、木の根にかぶりつき、※[#「けものへん+言」、第4水準2−80−36]々囂々《ぎんぎんごうごう》として入り乱れながらも、影の見えない相手を追い求めて狂い廻っている。
この際、あの食べ頃な赤ん坊の肉体が忘れられていることだけが勿怪《もっけ》の幸い。
かくて、最後にあの裏門、すなわち台所門のところでありました。そこで、再び黒い覆面の姿を追い求め得たりと見ると、餓えたる犬が、また一斉に牙を鳴らしてしまいました。
黒い姿は、たしかに裏門まで追いつめられた形でした。
そこで一刀にズバリと一頭の犬をまたも真向《まっこう》
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