絶えないことです。
 怖るべきは、憎悪《ぞうお》と嫉妬《しっと》です。人は、ことに婦人は、これがために生き、これがために死ぬものが多い。今、人形を取り出した女人の眼は爛々と燃えておりました。憎悪と、嫉妬と、呪詛《じゅそ》の悪念が集中して象徴化した藁人形を取り出して、松の幹の一面に押しつけると共に、左の手でそれを抑え、右の手をまたも懐中へ入れて、新たに取り出したのは一梃の金槌《かなづち》であります。金槌を取り出す前に、すでに五寸釘が手の中にあったと見えて、それを藁人形の首のところへあてがうと、
「カツン」
 憎悪に燃えた眼と、嫉妬に凝《こ》った繊細《かぼそ》い腕とで、幹もとおれと打込んだ藁人形の首から、ダラダラと血が流れ出しました。
 その途端に、何におびえたか木の下で、にわかに幼な児が声を立てて泣き出しました。今まで星を眺めて笑っていた子が――
 そんなことは、木の上の女の耳へは入らない。釘の中のすぐれて大きなやつを咽喉元に打込んで、その次に、右の腕、左の腕、胴――甚《はなはだ》しいのは足の両股の間をめがけて、上からのしかかるように、金槌の頭も、柄も、砕けよ飛べよと打込んだ後、燃え立ちきった女の眼の中に、見るも小気味よい一点の冷笑が浮びました。
 熱狂を以て打込んだ釘のあとを、冷笑を以て見ていると、人形の四肢五体から沸々《ふつふつ》と血が吹き出して来る。藁の人形そのものが、のたうち廻って苦しむ。
 血も出ていない、人形も苦しんではいないらしいが、女の眼にはそう見えるらしい。木の上で高らかに笑いました。
 女が木の上で笑うと、下ではおさな児が、腸を引裂くように泣いている。

         五十八

「丑《うし》の刻《とき》まいり」というのは、古い記録によると、嵯峨天皇の御時代からはじまる。その時代にある公卿《くげ》の女が、何か人を恨めることがあって、貴船《きふね》の社に籠《こも》り、嫉《ねたま》しと思う女を祈り殺そうとしたという古伝があるが、その古伝によると、女は人無きところに籠り、長《たけ》なす髪を二つに分けて角《つの》に作り、顔に朱をさし、身に丹《たん》を塗り、鉄輪《かなわ》をいただいてその三つの足に松をともし、松明《たいまつ》をこしらえて、両方に火をつけ、口にくわえて、夜更け人定まって後、大和大路へ走り出で、南を指して行くところ、頭からは五つの火が燃え上り―
前へ 次へ
全276ページ中80ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング