ん」
とうなされただけのものです。しかし、暫くすると、本当に眼がさめました。
 眼がさめたと思うと、外で鳥のはばたきを聞きましたが、それは烏ではない、鶏であることがよくわかり、同時にその鶏が声高く時をつくるのを聞きました。
 鶏が鳴いたな、何番鶏か知らん、こちらは眼がさめたけれども、夢を見すぎたせいか、どうも寝足りないような気がしてならぬ。と、伊太夫が床の中でうつらうつらしていると、裏口で人の声がする。これはまぼろしの人の声ではない、現実生活の声だ。現実生活の声も、旅籠屋商売《はたごやしょうばい》などは、現実が未明から夜更けまで続く。旅にいて朝呼びさまされる時に、人は人生というものに急《せ》き立てられる思いがしないではない。
 だが、この早朝――というよりは未明、いくら人を泊め、人を起して立たせるのが商売だと言っても、少し勉強が過ぎるようだ。これほどまでに早朝、これほどまでに慌《あわただ》しい働きぶりをしなければ立行かないというほどに、競争の烈しい土地とも思われないし、またそういうふうに要求するほどの団体客も見えてはいないはず。
 少々騒々しいなと思っている寝耳へ、急に襖《ふすま》を開いておとなうものがありました。
「お休み中を恐れ入りますが、少々お伺いいたしとうございます、モシ、何かお失くなりものはございますまいか、念のため、お伺いいたしとうございます、手前共の不注意でございまして、昨晩、湯殿の戸締りが出来ておりませんものでしたから、そこから、どうも忍び込んだ模様でございまして」
 その声は、昨晩寝入りばなに、箱入りの包みを持って来た主人の声に相違ないから、伊太夫がはっと思うと同時に、気のついたのは、昨晩、この人が持って来て枕許へ置いて行った古代瓦の袋入りの箱が、いつか姿を消して見えないことであります。
「あ、やられた、たしかにあの定九郎鴉に」
 この瞬間、伊太夫の眼にうつって来たのは、人間としての盗賊でなく、烏としての、憎い奴の形でありました。
 では髑髏《どくろ》は――と見ると、髑髏は宵のままで更に異状はなく、三藐院《さんみゃくいん》はと見れば、これも更に微動だもせず、文字を再び読み解いてみると、「置くは露」といったような筆画《ひっかく》は一つもなくて、筆跡はまさしく三藐院の筆ですが、歌は、
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あしひきの山鳥の尾のしたり尾の
 なかなかし
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