です。身上《しんしょう》が大きいだけに、悩みもまた大きいということもしかるべき道理でありますが、老境に入った今日この頃では、ほとほとその悩みに堪えきれないほどの重荷を成しているのも事実です。
伊太夫のその悩みを一語で言ってみると、「持てる者の悩み」ということに帰するでしょう。
「持てる者の悩み」というような現代的の言葉を以て、自分ながら表現することはできないが、悩みの根原はまさしくそこにあるのでありまして、「持たぬ者の悩み」と対比して、その悩みを悩む人の数こそ少ないが、その性質に至っては、持たぬ者の悩みより遥《はる》かに深刻なものがないとは言えない。持たぬ者の悩みは、お仲間が最大多数であって、同情の分量もまたそれに比例して大きいが、持てる者の悩みは、その共鳴者が少ないだけ、理解者も、同情者も、少ないと言わなければならないのです。
伊太夫は、陰密の間に、その悩みに虐《しいた》げられて来ましたが、それと共に、この悩みは悩みではない、自分は持てるが故《ゆえ》に長者であり、他の羨望《せんぼう》の的となっている強味の点ばかりが自分を刺戟していて、未《いま》だ曾《かつ》て自らその持てる物のために悩まされているのだとも、虐げられているのだとも信じたくはないのですが、事実上、自分の持てるものが、自分とその家族に、解放も与えず、愉悦も恵まず、平和も安心も来たさないで、かえってその重荷が年毎に加わって行く、その圧力だけは感じないわけにゆきません。
それが偶然、与八という男を見ると、全く別な世界の人を見出さないわけにはゆきませんでした。無一物の旅から旅の中に、なお安心があり、平和があり、受くるよりも与うることに幸福を感ずる天然自然の悠々たる余裕がある――ああいう生活方法もあり得る、現にあり得ているという驚異を、持たせられざるを得ませんでした。
早く隠居してしまいたい――と、漫然としてこういう歎息と、その実現を望んだことは、今にはじまったことではなかったのですが、隠居してさてどうなる、ということを、ついその実行者として引取って考えてみると、自分には隠居ができないということを、すぐに悟らざるを得ないのです。
あととりがないということです――今や天地間に自分の家を譲るべき血統の人としては、お銀様のほかにはないのです。そうして、その唯一の継承者たるべき人は、また唯一の反逆者でした。
後妻の子は、後妻と共に非業《ひごう》に生涯を終っている。養子をする――ということになると、果してこの家を譲り、自分をして安心して眼を瞑せしむるほどの養子がどこにいる。どこを探したら出て来る。親類――それに頼みになる奴があれば今日のことはないのだ。この甲州第一等の祖先伝来の身上《しんしょう》を、今どうするか。
伊太夫は、どうかすると、昔の仏説などにある長者物語のようなのを身に引当てて考えて、いっそ、持てるもののすべてを世に喜捨報謝してしまったら、とさえ、考えるだけは考えてみたことも再々でした。
だが、喜捨報謝してみたところが、これだけの身上を受けきれる人がどこにあるのか。へたに投げ出してみたならば、それこそ群がる餓狼のために、肉の倉庫を開放したようなもので、徒《いたず》らに貪婪《どんらん》と争闘との餌食を供するに過ぎないのだ。
どうしても自分が守り通して行かなければならない、そうしてまた、自分の志をついでこの社稷《しゃしょく》を守り通す人を見出して、このまま後を嗣《つ》がせなければならないという、世間普通の財産世襲の観念が最後の結論でありました。その陰密の間《かん》に加わる、持てる者の悩みの圧迫から、とつおいつした最後の果ては、いつでも、同じような平凡な結論に終るのを繰返し繰返しするのが、伊太夫の頭の、このごろの日課のようなものであります。
ついに、養子問題を、与八とその携えて来た少年の身の上に投げかけてみるように至ったのも、その思案のあまりの一つでありました。
今日も、それを繰返して考えたり、帳合《ちょうあい》をしたり、帳合をしてはそれを繰返して考えてみたりしているところへ、老番頭の太平がやって来ました。
「旦那様、お邪魔いたしてよろしうございますか」
と言って、何か特に改まった用件でも出来たかのような語勢でもありましたから、伊太夫も眼鏡をとって、
「何ぞ用かい」
と言いますと、
「お嬢様から、急飛脚でございまして」
「なに、銀から……」
反逆者として遠島をさせてしまったような気分でいても、そこは肉親の親子の情合いと見えて、旅先の娘から急飛脚ということを言われて、思わず身体《からだ》が乗出したのです。
「はい、わたくし宛に、お手紙が参りましたのですが、わたくしだけでは計らい兼ねますによって、旦那様の思召《おぼしめ》しを伺いに参りました」
「ふーん、あれはもう見放した女だ、何を言って来ようとも、わしがところへは持ち込むなと申してあるのに」
「それは承知いたしておりますが、今度のお手紙の要件は、どうしても、わたくし一個では計らい兼ねます、ぜひとも、旦那様のお耳にお入れ申した上でございませんと」
「生死《いきしに》のほかには言ってもらわないがよい、あれはあれだけのことになって、身上も分離してお前にあずけてある、お前の方で取計らいきれないということはあるまいが」
「それがでございます――万事は、わたくしがお計らい申して参りましたが、今度のお手紙の要件ばっかりは、どうしても計らいきれませぬ、と申しますのは、このお嬢様のお手紙でございますが、一応お目通しごらんくださいませ」
「見ないでもいいよ、ではとにかく、その要領だけを聞いてみましょう」
「では、このお手紙の要領をお話し申し上げますと……」
太平は、伊太夫に近く少しにじり[#「にじり」に傍点]寄って、ふし目になって手紙を見つめながら、次のように語り出しました。
「あのお嬢様のこのお手紙の要領と申しますのは、自分は今度、近江の国の胆吹山の麓へ地所を買ってそこへ屋敷を営むことになったから、その費用を送ってもらいたい、それも少々ずつでは、おたがいにめんどうだから、この際、わけていただいてあるお嬢様の分の財産をそっくりもらいたい、不動産の方は追って金に換えて欲しいが、貯えてある金銀だけは一文も残さずに、そっくり近江の胆吹山の麓のこれこれへ送り届けてくれと、こうおっしゃってなのでございます」
「ナニ、あれの分の財産を、そっくり残さず送れと――うむ……」
伊太夫も、さすがに腹へ深く息を飲みこんでしまいました。
七十八
なるほどこれは、番頭一人の頭で取計らいきれぬというのも無理がないと思ったのでしょう。
正式に勘当したというわけではないが、かりそめにも、親でない、子と思うな、と言い合って別れてから、父子の間には、わたることのできないほどの溝が掘られてあるのでありました。
そうして、決定した伊太夫は、それでもこの我儘娘《わがままむすめ》の将来のためにとて、財産のうちを分割して、あれの物として頒《わか》ち置いて、その保管を番頭に托し、必要ある毎には、大体に於てあれの申し出通り送ってやれ、ことに旅などへ出ては、入費に糸目をつけないでよろしい、といったような暗示も常々与えてあるのですから、今まで、主人にはいちいち通告せずに、老番頭一人で取計らって、請求がありさえすれば、少しも猶予せずその請求額だけを、どしどし払い渡してやっていたのですが、今やここで、その全部をよこせ――と提言をして来たのですから、無論、老番頭一存では計らいきれず、それを聞かされた伊太夫さえも、一時《いっとき》うなってしまって、ついに何とも判断の下せない形になったのも無理がありますまい。
伊太夫の身上は、これをかりに見つもっても、何千何万になるかは容易に計上し難いのであります。容易というよりは、全く金銭に換算しては計上し難いと見るのが至当でしょう。そのうちから、お銀様とても、株券をいくら、債券をいくらと分譲されたわけではないのですから、現金のほかは、山林であり、田畑であり、或いは家屋敷倉庫の一部分、衣類や書画|骨董《こっとう》といったようなものなのですから、それを残らず金に見積ることは、やっぱり不可能と言ってよいのですが、いちばん可能性のある金銀だけに就いて言ってみても、果してどのくらいの額に上るでしょうか。大正昭和の頃の、甲州第一の富豪といわれる某氏の財産を、かりに八千万円と見て、それを伊太夫の財産額として、そのうちの八分の一を譲られた計算にしてみてからが、ほぼ一千万円程度のものを、直ちに引渡せという交渉には、親子の間とはいえ、全く自由処分に任せるつもりの金であるとはいえ、一言で裁断を下せないのはあたりまえでした。
そこで伊太夫が唸《うな》りました。しかし、やや暫く唸りを長く引いているだけで、一言の下に「馬鹿!」と言って蹴飛ばさないところを以て見ると、相当考慮の余地は存して置いているものらしい。といって、「いいから、おやんなさい」と容易《たやす》く肯定に入ろうとも思われないから、老番頭も覚悟して、主人と共に、その返答の挨拶の文案を練りにかかろうとする身構えです。
「あれの分が現金で、今どのくらいありますか」
暫くあって、伊太夫の老番頭に対する質問がそれでした。
「左様でございます――手許にありまする分と、貸附の分とを、ちょっと取調べてみますると、十四万八千両ばかりござりまするで……これをごらんくださいませ」
と老番頭は、帳面を持って来ているのを、ここで主人の前にひろげたのです。
「ははあ」
と言って、じろりとその帳面に伊太夫は眼をくれたけれども、取り上げて仔細に見ようとするのではありません。しばらく、また眼をつぶっていましたが、やがて、軽く眼を開いて言いました、
「送っておやりなさい」
「えッ」
と、老番頭が少なからず動揺したようです。
「送っておやりなさい、貸金の方を今すぐ取立てて送るというわけにもいくまいから、現金の方はあるだけ、そっくり送っておやりなさい」
「え、承知いたしました」
と老番頭は、主人の命令が絶対的であることをよく心得ています。汗の如しとたとえることは畏《おそ》れ多いが、この家の代々の慣例では、ぜひ善悪ともに、主人の言葉は絶対でした。そこで老番頭は、非常な狼狽《ろうばい》をつくろいながら、委細かしこまってしまって、
「では、現金額と致しまして、取りまぜ五万七千三十両ござりまするが、それをそっくり……」
「そっくり送っておやりなさい、為替に組むなり、馬につけて送るなり、いいようにして届けておやりなさい」
「はっ、承知仕りました」
こうして老番頭は、帳面を抱え直して、また主人の前をすべり出でたのです。
老番頭の命令服従も無条件でありましたが、五万両からの金を、我儘娘《わがままむすめ》のために支出させる伊太夫の命令も無条件でありました。何のために、どうして使用するのだ、その使用が経済の法にかなうか、かなわないか、その使用法が倫理の道に合するか、合しないか、またその金を送ったがために、当人の身が幸福になるか、不幸になるか、そんなことは一切頓着しなかったのです。すでに分配して授けてしまったものを、授かった者が持ち去るのは当然である。多く持って行ってはいけない、少なく所有するがよろしいというような条件があっては、人に物を与えたということにはならない。
与えた以上は、自分の物ではなく、人の物である――という水のように淡い応対で済ましてしまった伊太夫は、また暫く何か思案に暮れていたようだが、急に思い出したもののように、立ち上って下駄をつっかけましたが、どこへ行くかと思うと、いつも、与八の塾をたずねる時に行くと同じ橋の多い小路に隠れたところを見ると、やっぱり、あの悪女塚のなきあとをたずねて見る気になったものかと思われます。
七十九
伊太夫は果して、与八塾をたずねて来ました。
その時、与八塾の生徒はもう放課後で、郁太郎のほかには誰もおりません。
与八は、一室で一刀三礼《いっとう
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