踏んで、
「ばかにしてやがら」
と言いました。
「ばかにしてやがら」――しかしながら、誰もこの場で、米友をばかにしているものは無いのです。もし、米友をここでばかにしたものがありとすれば、それは子鷲を拉し去った親鷲でなければならないのだが、あの二羽ともに、米友に対して感謝こそすれ、ばかにしているはずはないのです。畜生の悲しさに、なんらの意志表示もしては飛んで行かなかったけれども、夜の中空を、羽風を切って飛び去る猛鳥の姿は、米友をして一種豪快の念に堪えざらしめていたはずです。ですから、「ばかにしてやがら」と言ったのは、飛び立って行った鷲の親子に向けて発した怨《うら》み言《ごと》ではありません。
 といって、この期《ご》に及んで、お雪ちゃんにとばしりを向けて剣突《けんつく》をくれてみよう理由はありませんから、結局、米友としては、的なきに矢を放っているようなもので、「ばかにしてやがら」――
 それはまあ、一種の自己冷嘲として見ればいいのです。だが、何の故に、この際、自己冷嘲を試みて自ら慰めるのかという論議の段になってみると、これまた分析が相当にむずかしい。
 何か、米友公には米友公相当の感情が、むやみに頭の中に群がって来てみたり、また、それが急に遁逃《とんとう》して空虚にされてしまったりする場合に、どこへ的を置いて矢を放っていいかわからないから、そこで突発的に、「ばかにしてやがら」――
 今もただ、そんなようなきっかけで、「ばかにしてやがら」と鼻の先で言い捨てて、その途端に、手にしていた例の杖槍の一端を取ると、それをグルリと半径にブン廻しました。
 杖槍を半径にブン廻してみると、自分の胸の筋肉が、かあんと鳴りました。
 その筋肉の震動が、なんとなく米友に、一味の快感を与えたと見られます。それから即座に立ち直って、今度は頭の上へ持って来てブン廻して、見事に全円を描いてしまいました。

         二十六

 米友の自己陶酔の幕はそれから始まりました。
 甲府城下の霧の如法闇夜《にょほうあんや》に演出した一人芝居は、あれは生命《いのち》がけの剣刃上のことでしたから、前例にはなりません。信州川中島の月の夜にこそ、一度この米友の自己陶酔を見かけたことがあるのであります。
 今宵、たった今、米友は棒を振り廻してみることに、我ながら絶えて久しい自己快感を覚えました。それから、松の丸の松の根方の芝生の上で、真剣になって型をつかいました。川中島の時は、たしか月の夜でありましたが、ここは、おろちの棲《す》む胆吹山下、降るような星の夜であります。
 今、米友が縦横無尽にその型をつかい出しました。
 それは何の型? 御承知の通り、この男には特に何流何派の型というのは無いのです。幼少の頃、淡路流を少し学んだということのほかには師に就いたことはないが、その後、おのずから独流の型は出来ているのです。本人はそれを型とは気がつかないで、ひとり自己陶酔で、舞いつ踊りつしているようなものだが、見る人が見ると、その奇妙きてれつなる、型にあらずしておのずから型に合っている。ただ惜しいことには、見る人に見せる場合にのみ、この男の芸術的昂奮が起らないことです。無心したところで見ようとしては見られず、無心しなくても突発的に、川の中であれ、山の下であれ、起るべき時に起るその芸術的昂奮と自己陶酔――当人が見せようと思ってやるわけではないから、周囲が見ようと願っても見られない代物《しろもの》。
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「一ハ打《だ》シ、一ハ刺ス、棒ニ刃《やいば》ナクンバ何ヲ以テ刺スコトヲ為《な》サン。
今一刃ヲ加フ、但シ刃長ケレバ則《すなは》チ棒頭力無シ、他ノ棒ヲ圧スルコト能《あた》ハズ、只二寸ヲ可トス、形|鴨嘴《あふし》ノ如シ。打スレバ則チ棒ヨリモ利アリ、刺ストキハ則チ刃ヨリモ利アリ、両《ふたつ》ナガラ相済《あひすく》フ、一名ヲ棍《こん》ト曰《い》フ、南方ノ語也、一名ヲ白棒ト曰フ、北方ノ説也。
孟子|曰《いは》ク、梃《てい》ヲ執ツテ以テ秦楚《しんそ》ノ堅甲利兵ヲ撻《たつ》スベシ……」
[#ここで字下げ終わり]
 米友としては、前人の型を追わない如く、前人の説を知らないのだから、独得の武器そのものも、暗合はあるかも知れないが、模倣は断じてない。
 さればこそ、この自己陶酔によって示すところの型のうちに「大当《だいとう》」の勢いが現われようとも、「斉眉殺《せいびさつ》」の型が転がり出そうとも、「滴水」が「直符」に変化し、咄嗟《とっさ》に「走馬回頭」の勢いに転じようとも、進んでは「鉄牛入石」の型が現われ、退いては「竜争珠《りょうそうじゅ》」の曲に遊び、或いは「鉄門※[#「金+俊のつくり」、306−14]《てつもんせん》」となり、或いは「順勢打」となり「盤山托」となる。一肌一容《いっきいちよう》、体をつくし、研を究めようとも、彼は学んで而してこれをなし得るのではないから、示して以て能を誇るのでもない。況《いわ》んや衒《てろ》うて以て剽《ひょう》するものでないことは勿論である。
 今や米友は、むやみに愉快でたまらなくなりました。無論、時間のところも頓着はありません。それも全く無理のないことで、人はそれぞれその楽しむところに於て三昧《さんまい》に入り得る特権を持っているのですから、この男が唯一の芸術に、我が三昧境に、我を忘るるはやむを得ないことですが、ただ一つ他目に見て不思議なことは、お雪ちゃんというものが、その後、なんらの挨拶をしていないということであります。
「友さん、何をしているの、イヤな友さん、一人相撲の真似《まね》なんか、およしなさいよ」とかなんとか、呼びかけなければならないところなのですが、米友が陶酔境からついに三昧境に入るまでのかなり長い時間を、悠々とここにひとり遊ばせて置いて、お雪ちゃんその人がなんらの注意を呼び起していないということが不思議でした。
 そのうちに米友も、夢からさめたように三昧境を出でるの時が来て、ホッと息をつくと、杖を松の樹に立てかけて、錬鉄の肌ににじむ玉のような汗を、腰にブラ下げた手拭で拭いにかかり、
「うんとこ、とっちゃん、やっとこな」
と言いました。
 どこで聞き覚えたか知れないが、こんなわけのわからぬ言葉を口走る点は、たしかに幾分清澄の茂太郎にかぶれたものなんでしょう。
 そこで、沓《くつ》ぬぎに草履《ぞうり》を脱いで、以前の座敷に上り込もうとしたが、ふと妙な気配を感じました。

         二十七

「お雪ちゃん」
 当然、先方から呼びかけられなければならないところで、米友の方でダメを押しました。
 なるほど、自分ながらそう思って見れば、自分としてはかなり長い時の間、遊戯を試みていたのだが、その間、お雪ちゃんはどうした。こっちはこっちで楽しんでいたんだからいいようなものの、先方の身になってみると、「米友さん、何をしているの」と一言、たしなめてみてもよかりそうな場合であったではないか。
 お雪ちゃんが、今まで何とも言わなかった、あの子のことだから、いるんなら何とか言ってくれなけりゃならぬ場合なんだが、いっこう挨拶がないところを以て見ると、いないのかな。
 いないといったところで、今夜この場合、どこへ行くものか。では、寝たのか。あれほど先に寝《やす》むことを遠慮していた当人が、だまって寝込んでしまうはずもなかろうじゃないか。してみると、また一人おとなしく銭勘定でもはじめたのかな――それにしても変だ。
 という気になって、米友が、のぞき込むのを先にするようにして座敷へ一足入れて見ると、行燈《あんどん》の光が著しく暗くなっているが、消えたのではない。ここまで来ても、お雪ちゃんが何とも言わない、そうして、お雪ちゃんその人の影も見えない。
「おや?」
 米友は忙《せわ》しく座敷の四方を見廻したけれど、お雪ちゃんの姿はいっこう見えないが、その薄暗い行燈の光を通して、燃えくすぶって白い煙をたなびかせている炉辺の彼方《かなた》に人がいる。一見、お雪ちゃんとは全く別な人間が一人、澄まし込んで座を構えている。
「お前《めえ》は誰だ!」
と米友が、目を円くして一喝《いっかつ》しましたが、先方から手ごたえがありません。
 返事はないけれども、人はいるのです、姿は動かないのです。そこで、米友は円くした眼を据えて、じっと、その薄暗い行燈の光と、白くいぶる榾《ほた》の余烟《よえん》とを透して見定めると、蒼白《あおじろ》い面《かお》をしてやつれきった一人の男が、白衣の上に大柄な丹前を羽織って、火の方に向きながらしきりに自分の面を撫でている。最初はただ面を撫でているだけだと思ったが、その指先が長くヒラリヒラリと光るものだから、よく見ると、剃刀《かみそり》を使っているのだということがわかりました。
 つまりこの人は、澄まし込んで、ここで面を剃っているのです。
「お前は誰だ」
と二度《ふたたび》誰何《すいか》した途端に、米友は先方の返事よりも早く、自分の胸に反応が来てしまいました。
「なあんだ、お前《めえ》か。お前はいったい、どこにいたんだ、そうして、いつ、こんなところへ入って来たんだえ」
「雨戸があいているから、そこから入って来たよ」
「どこから?」
「君が出入りをした同じところよ」
「エ、ここからかい、ちっとも知らなかった」
 これだけの問答で、米友は怖るるところなく、ずかずかと炉辺によって来て、その不思議な来客と対角の炉辺に座を占めてしまいました。
 この不思議な来客というのは、米友とは古い顔馴染《かおなじみ》、最近関ヶ原以来の――机竜之助であることに疑いはありません。

         二十八

 竜之助と対角線に坐った宇治山田の米友は、無言でじろりじろりと竜之助の為《な》さんようをながめておりました。
 普通の人ならば文句もあるだろうが、本所の弥勒寺長屋《みろくじながや》以来、この人をよく知り抜いている米友です。
 天から降ったか、地から湧いたか、現在この座敷の締りは先刻、お雪ちゃんから念を入れての頼みで、水も洩らさぬように締切ってある。入って来たとすれば、戸の隙間《すきま》か、節穴よりするほかには入り道は無いのです。いや一つはある。それは、自分がさいぜん籠を持ち出してから、自身庭へ出て、槍を振っていた間の、あの縁先の雨戸一尺五寸ばかりの間隔だ。しかし、それとても、直ぐその直前で自分が槍を振っていたのだから、取りようによっては、締めきってあるよりも一層の厳しい見張りになっているはずなんだが――そこを潜り抜けて、そうして安然とここへ座を構え込んでしまって、しきりに面を撫でている。
 これは、他人《たじん》ならば米友自身の面目問題なのだが、この人では仕方がない――と米友は観念しているらしい。弥勒寺長屋で一つ釜の飯を食っている時にさえ、出し抜かれたのだから、今宵この場合は、型に心を取られていたおいらだ――油断といえば油断だが、寝首を掻《か》かれたわけではなし、特にこの人は例外である。
 米友も、そういう頭が出来ているから、深くはそのことを気に病まないでいたが、解《げ》し難いのは、その面を撫で廻す指先に光る剃刀と、それから、なおよく見ると、その座右に置いてある櫛箱《くしばこ》です。それもこれも――この男がわざわざ持って来るはずはないと咎《とが》めるまでもなく、常日頃、米友がよく見慣れているお雪ちゃんの持物なのであります。
 いつのまにこの人は、これを持ち出したろう。閃々《せんせん》として波間をくぐる魚鱗のように、町々辻々の要所要所をくぐり抜けて血を吸って帰るこの人の癖は、米友に於てもよく心得たものだが――いかに潜入が得意の人とはいえ、はじめての室内へ入って来て、櫛箱と、剃刀と、それから、なおよく見給え、ちゃんと下剃《したぞり》を濡らすためのお湯まで汲みそろえてある。こういう細かい芸当までが、できるということは、あり得べからざることだ。
 ことに、うしろにふわりと羽織っている丹前だってそうだ。さきほどお雪ちゃんが、蒲団《ふとん》をのべようと言って、戸棚をあけた
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