れば、それこそ天上極楽申し分ないのだが――望月《もちづき》のかけたることのなしというのはかえって不祥だよ、この辺で浮きなよ、浮きなよ」
「浮かない――一杯飲めば飲むだけ気がふさぐ」
「弱ったな、こうして働いて御馳走をしてやって、その御馳走を食わないならいいが、さんざん食い且つ飲まれながら――一口上げに気がふさぐと言われたんじゃ、全く板前がやりきれない」
と言って、丸山勇仙がつまらない面《かお》をして、仏頂寺の面を見なおす。
「丸山、つまらねえな」
「何が……」
「つまらねえよ」
「何が、どうして」
「酒を飲んでも浮ばれなくなったんじゃ、もう見きり時だ」
「いやに湿《しめ》っぽいことを言い出したもんだな、しかし……」
と、丸山も少しく思案してみての上で、
「そうだっけな、李白の詩に、酒を飲んで愁《うれい》を銷《け》さんとすれば愁更に愁う、というのがあったっけ、あれなんだな」
「どれだ」
「まあいいや、酒というやつが、必ずしも人を浮かすときまったもんじゃないんだから、何でもいいから飲みな仏頂寺、遠慮なく飲みな、そのつもりで、この松茸と相応するほどもろみ[#「もろみ」に傍点]が仕こんで来てあ
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