ののようです。
 お銀様は、ただもう、その古詩を思い出すことによって、感情が昂《たか》ぶってきましたが、足許は焦《あせ》らずに、胆吹の裾野の夕暮を、じっくりと歩んでいるのです。
 その時、不意に右手の松林の間から、叱々《しっしっ》と声がして、のそりと、一つの動物が現われ出しました。見ればそれは巨大なる一頭の牛が、後ろから童子に追われて、ここへ悠然と姿を現わしたものですが、牛は牛に違いないが、その皮の色が真青であることが、いとど驚惑の感を与えずには置きません。
 それが行手に、のそりと現われたものですから、お銀様も少しくたじろぎました。しかし相手は牛のことであり、不意に現われたとはいえ、牛飼がちゃんと附いて、この温厚な動物を御《ぎょ》しているのだから、寸毫《すんごう》といえども恐怖の感などを人に与えるものではありませんでした。
「奥様、こんにちは」
 牛飼の少年は、質朴に、そうしてさかしげにお銀様に向って頭を下げて通り過ぎようとしました。
「奥様」といったのは故意か偶然か知らないけれども、昨今ではあるが、みんな自分の周囲の出入りの者、見知り越しの土地の人などが自分を呼ぶのに、この「奥様」
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