した。一時は、ちょっと変な感じにうたれたに相違ないが、もう、こんなことにはタカをくくってしまって、彼の頭は全く別の世界の追憶やら、想像やらがとめどなく流れ込んで来て、その応接に苦しんでいるものらしい。
たとえば、鷲の子を放してやったことの連想から、尾張へ預けて来た熊の子のことになってみたり――川中島の夜景の思い出から、道庵先生のことになってみたりしてるうちに、この男が炉辺でうつらうつらと居眠りをはじめてしまったことによっても、この場の出来事には、あんまり邪気をさしはさまず、また、先刻、庭前で試みた懸命の型の遊戯が、かなりこの男を疲らせていると見えて、かなりいい心持で、炉辺の温い火にあおられながら、夜舟を漕《こ》ぐというのですから、まず極めて平和なる光景と言わなければなりません。
本来、居眠りをするということは、心のゆとり[#「ゆとり」に傍点]というよりも、油断と言った方がよろしい。
ことに日本の炉辺では、居眠りをすることは非常に危険なる油断の一つに数えられている。なぜとならば、ここで一歩、ではない、一頭をあやまると、目前は火炉なので、その上には※[#「金+獲のつくり」、第3水準1
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