]はこのことを考えて、美濃路をついに垂井《たるい》の宿まで来てしまったのが、三日目のもう夕刻です。今晩中の約束だから、夜明けまでには何とかして、お蘭どのの鼻先へ突きつけて見せなければ、がんりき[#「がんりき」に傍点]の男が廃《すた》る三百両の金。
 関ヶ原あたりに転がっていまいものかと、あたり近所を物色しながら歩いて行くうちに、様子ありげな数人づれの旅の者と行違いになりました。行違いになったといったところが、向うから来たのと、こちらから行ったのと、袖摺《そです》り合ったというのではなく、先方は尋常に歩いているが、こっちは天然自然に足が早いものだから、追い抜いてしまって、その途端に見返ると、がんりき[#「がんりき」に傍点]の頭へピンと来たものがあります。
 この一行の旅人は、普通の旅人ではない。見たところ、村の庄屋どんが、小前の者でもつれて旅をしているように見えるが、それにしては、万事ががっちりし過ぎている。この中の主人公というものが、田舎《いなか》の旦那らしい風《なり》はしているが、どうして――
 がんりき[#「がんりき」に傍点]の第六感で、
「これは大物だわい」
と受取ってしまいました。三井とか、鴻池《こうのいけ》という大家が旅をする時に、よくこんなふうにやつして旅をするといったやつ――こいつは只物でねえ――と見破ったがんりき[#「がんりき」に傍点]は、この点に於て、さすがに商売がらでありました。
 これぞ――西国へ行くと言って、急に甲州有野村を旅立ちをしたお銀様の父伊太夫と、その一行でありました。
 そこで、がんりき[#「がんりき」に傍点]は、速足をごまかして、わざと一行のあとを後《おく》れがちに慕うことになる。
 伊太夫の一行は、悪い奴につけられたということを知らないで、西へ向って急ぐ。
 新月は淡く、関ヶ原のあなたにかかっている。



底本:「大菩薩峠16」ちくま文庫、筑摩書房
   1996(平成8)年7月24日第1刷発行
   「大菩薩峠17」ちくま文庫、筑摩書房
   1996(平成8)年8月22日第1刷発行
底本の親本:「大菩薩峠 十」筑摩書房
   1976(昭和51)年6月20日初版発行
※底本では、「…頬かむりをとって、その面《かお》を突き出して」の後に、改行が入っています。
※疑問点の確認にあたっては、「中里介山全集第十巻」筑摩書房、1971(昭和46)年5月27日発行を参照しました。
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:tatsuki
校正:原田頌子
2004年1月10日作成
青空文庫作成ファイル:
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