もと》の宿には、それ以上に解《げ》せぬ一行が陣取っているのであります。
春照《しゅんしょう》の高番《たかばん》という陣屋に、夜もすがら外には篝《かがり》を焚かせ、内は白昼のように蝋燭《ろうそく》を立てさせて、形勢穏かならぬ評議の席がありました。
事の体《てい》を見ると、これはこのほど来、麓の里を脅《おびやか》したところの、子を奪われた猛禽《もうきん》の来襲に備えるべく村の庭場総代連が警戒の評議をこらすの席とも思われず、さりとて長浜、姉川、その他で見かけた一揆《いっき》の雲行きに似たところの人民の集合のような、鬱勃たる粛殺味《しゅくさつみ》も見えない。相当緊張しているにも拘らず、甚《はなは》だ間が抜けて、卑劣な空気が漂うているところに多少の特色がある。
その面触れを見渡すと――ははあ、なるほど、枇杷島橋《びわじまばし》以来の面ぶれ、ファッショイ連、安直、金茶、なめ六、三ぴん、よた者――草津の姥《うば》ヶ餅《もち》までのし[#「のし」に傍点]ていたはずなのが引返して、ここは胆吹山麓、春照高番の里に許すまじき顔色《がんしょく》で控えている。
特に今晩は、あの御定連《ごじょうれん》だけではない、正面に、安直の一枚上に大たぶさの打裂羽織《ぶっさきばおり》が控えている。これぞ彼等が親分と頼む木口勘兵衛尉源丁馬が、特に三州方面から駈けつけたものと見受けます。
木口が床柱を背負うと、安直がその次に居流れ、そこへまた例の御定連が程よく相並ぶと、やがて次から次、この界隈でも無職渡世と見えるのが馳《は》せ集まって、いずれも膝っ小僧を並べて、長脇差を引きつけ、あんまり睨《にら》みの利かない眼をどんぐりさせながら、精々|凄味《すごみ》を作っている。
土間を見ると大根おろし、掻きおろしが十三樽。
「古川の――」
と安直が、らっきょう頭をゆらりと一つ振り立てると、
「はい、安直|兄《あに》い、何ぞ御用で……」
としゃしゃり出たのが、古川の英次という三下奴《さんしたやっこ》です。そうすると親分の側にいたあだ名をダニの丈次という三下奴が、
「てめえ、なかなか近ごろの働きがいいで、木口親分のお覚えがめでてえ、じゃによってお余りを一皿振舞っておくんなさるから、有難くいたでえて、三べん廻ってそこで食いな」
と言うと、古川の英次が、ペコペコと頭を下げて、
「兄い、有難え、可愛がってやっておくんなせえ、じゃあ、遠慮なしにいただきやすぜ」
と言って、古川の英次という三下奴が、木口親分から廻って来た食い残しのライスカレーみたような一皿を、ダニの丈次の手を通して押しいただき、ガツガツと咽喉《のど》を鳴らして、食いはじめました。
「旨《うめ》えか」
「旨え、旨え、木口親分のお余りものと来ちゃあ、また格別だ」
「おい、下駄っかけの時次郎、てめえも来て、親分のお余りものに一皿ありつきな」
「有難え」
と言ってしゃしゃり出たのは、下駄っかけの時次郎という、これも新参の三下奴。ダニの丈次が勿体《もったい》ぶって、
「手前たち、よく木口親分のお手先になって忠義をはげむによって、親分から、こうして残りものをしこたま恵まれる、親分の有難味を忘れちゃならねえぞ」
「どうして忘れていいものか、おれたち一騎の器量じゃあ、とても、芥箱《ごみばこ》の残飯にもありつけねえのが、こうして結構な五もくのお余りにありつくというのは、これというもみんな親分の恵み、そこんとこはひとつ安直兄いからよろしくおとりなしを頼みますぜ、ちゃあ」
と言って、古川の英次と、下駄っかけの時次郎が、木口親分と、安直兄いの前へ頭をペコペコと三つばかり下げて、そこの座敷を三べんばかり廻ると、しゃんしゃんと二つばかり手を打って元の座に戻りました。
「下《しも》っ沢《さわ》の勘公――てめえ、また何というドジを踏みやがったんだ」
「兄い、済まねえ」
ダニの丈次の前へ、下っ沢の勘公がペコペコと頭を下げる。
「せっかく隠し穴をこしらえて、今度という今度は、十八文をとっちめたと安心をしていると、また、つるりと脱けられて、上げ壺を食わされた、のろま野郎――勝手口へ廻って、当分のあいだ窮命していろやい」
「面目《めんもく》しでえもねえ」
以前の二人の三下は、親分の覚えめでたく、たっぷりとお余りものにありついているにかかわらず、哀れをとどめた一人の三下は、台所へ追放を命ぜられてしまったのは、何か相当重大な過失があったと見える。そこで、一座が甚だ白け渡った時分に、突然、
「江戸ッ子、いやはらんかな、江戸ッ子一人、欲しいもんやがなあ、こちの身内に、江戸ッ子一人いやはらんことにゃ、わて、どもならんさかい、ちゃあ」
と、不安らしく呼びかけたのは、安直兄いでありました。
安直兄いが、どうして、こんなに不安な音色を以て呼びかけたか、その内容は、ま
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