まないた》も、野菜を切り込む笊《ざる》も、目籠《めかご》も、自在にかけて何物か煮つつある鍋も、炉中の火をかき廻す火箸も、炉辺に据えた五徳も――茶のみ茶碗も、茶托も――すべて眼に触るるものがみんな新しい。ただ古いのは自在竹の煤《すす》のついたのと、新鍋《あらなべ》の占拠によって一時差控えを命ぜられている鉄瓶だけぐらいのものですから、この室内すべてを照明するところの光の本元としての燈明台《とうみょうだい》も、むろん最も新しい物の一つであるし、その中の燈明皿も、油も、とうすみも、一切が新しいのですから、お雪ちゃんの眼に見て、タングステン以上にまばゆく感じ、且つまたそれが気分までを明るく、心持よくしたのは無理もないことです。
 それを今、仕事をしながらお雪ちゃんが感謝の意を表したのだが、米友としてはそんなに有難くは受取らない、ただお雪ちゃんが言いかけて、言うことを沮《はば》んでしまったようなただいまの一句、「まるで、お嫁さんにでも……」と言った言葉尻をとらまえてしまいました。
「そうだなあ、まるでお嫁さんでも……」
と米友が続けてみたが、そこで、また何とつづけていいのか、さすがの米友が擬議しました。
「ホ、ホ、ホ、ホ」
とお雪ちゃんは、何がおかしいか笑いました。
「取ったようだな」
と、お雪ちゃんに笑われたので、米友があわてて木に竹をついだように言葉をつづけました。
「ホ、ホ、ホ、ホ」
と、お雪ちゃんがまた笑いました。
 木に竹をついだような米友の言葉の前後をつづり合わせてみると、「まるで、お嫁さんでも取ったようだな」と、こういうのであります。お雪ちゃんとしては、この際、米友がガラにもなくお嫁さんを引合いに出したそれがおかしいのではなかったのです。なぜならば、お嫁さん……ということを言い出して口籠《くちごも》ったのは、それはかえってお雪ちゃん自身にあるのですから、米友が、その言葉尻を受けついだからといって、何もおかしがって笑うことはないのです。といって特別に笑わなければならぬほどのおかしいことはなかったのですが、箸が転んでも笑いたいという年頃なんでしょうから、米友さんそのままの存在と、あたりの新しいものずくめが、ついお雪ちゃんの気を、こんなに快活にしたものと見なければなりません。
 だが、また一方、米友としても、たとい人の言葉尻をとらまえたにしてからが、お嫁さんがどうしたと
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