、福松はぐんぐんと押しつけて来るものだから、兵馬は、たじたじと後ろの樅《もみ》の木に押しつけられてしまいました。
この女として、恐怖は恐怖に相違あるまいけれど、これは必要以上に押しつけて来るとしか思われない。兵馬はその必要以上に押しつけて来る女の体をもてあまし気味で、
「あの連中、まだこんなところをうろうろしている、仏頂寺の故郷というのが越中の富山在にあって、あちらの方へ行くと言っていたが、今時分、何の必要あってこの辺をまだうろうろしているのか、解《げ》せないことだ」
「ひとさらいみたようね」
「あれで、惜しい男なのだ、練兵館でも、あのくらい腕の出来る奴はないのだが、心術がよくないため、長州の勇士組から見放され、師匠|篤信斎《とくしんさい》からも勘当を受け、そうして今はああして、亡者の体《てい》となって諸国をうろついて歩いている」
「悪党のようで、それで思いの外さっぱりしたところもありますのね」
「うむ――本来あれで一流の使い手なのだから」
「新お代官みたように、しつっこいいやなところはないけれども、でも気味の悪いこと、手足の冷たいこと、全くこの世の人のようじゃありません」
「自分でも亡者亡者と呼んでいる」
こう言って、二人は物蔭で私語《ささや》き交していたが、
「あら、また、やって来ますよ」
一時《いっとき》、立ち止って、こちらを透《すか》して見ていたような仏頂寺が、またのっしのっしと草原を分けて来るので、福松はまた兵馬に一層深くしがみつきました。
なるほど、執念深い彼等のことではあり、異様な六感が働いて、ほんとうに我々のここにいるのを気取《けど》ったかな。もしそうだとすれば……兵馬はここでかえって機先を制して、こちらから身を現わして出て行ってみようかと思ったが、それは女にからみつかれていて、にわかに転身が利《き》かない。
そうしていると、突然、あちらの方で、
「仏頂寺、仏頂寺!」
高らかに呼ぶのは、丸山勇仙の声であります。
「何だい」
それに答える仏頂寺の声が、今日はいつもより一段と太くてすさまじい。
「松茸《まつたけ》の土瓶蒸《どびんむし》をこしらえて食わすから来い」
「ナニ、松茸の土瓶蒸!」
と言った返事が、やっぱりすさまじく四辺にこだまして聞える。
仏頂寺が振返って見ると、丸山勇仙が、以前の地点で盛んに火を焚きつけている。
「ふーん、松茸の
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