笑するところに、なんとなくすさまじい響がする。仏頂寺弥助に至っては、右の縮緬の胴巻を面《かお》へこすりつけるようにして、面と手をわななかせたり、また、急に思い出したように、忙しく前後左右、原、藪《やぶ》、木立を見透《みすか》したり、どうしても落着かないものになっている。
 そのくせ、二人のいる四辺《あたり》は、真昼であるにかかわらず、急に白けきってしまって、二人の者が、こだまにでもおどる亡者のように見える。この二人が、亡者のようにフラフラと行方定めず歩いているのは今に始まったことではない――五体もあり、むろん足もあり、人間たることは紛れもないが、二人がのこのこと歩くところは、どうあっても白昼の亡者としか見えない。
「おい、隠れるなよ、隠れたってわかるぞ、我々共とても、鬼でもなければ虎狼でもない、みだりに取って食おうとは言やせぬぞ、これへ出て、もう一度、今のいい咽喉《のど》を聞かしてくれんかいな」
 仏頂寺弥助が、四方を見廻しながら、咽喉が乾いて舌なめずりでもするかの如く言いかけたのが、四方の静かな峠路の林まで、沁《し》み入るように響き渡りました。

         十二

 木蔭から、息を殺して、こちらをうかがっていた福松は、
「あら、大変! 仏頂寺の奴に胴巻を拾われちゃいました」
「抜かったな」
 兵馬も答えると、
「あらあら、仏頂寺がこっちへやって来るわよ」
「あわてるな、あわてるな」
と言って、兵馬も同じく木の葉の間から、眼をはなすことではなかったが、色縮緬の胴巻を拾い取った仏頂寺弥助が、叢《くさむら》を分けて、ずっしずっしとこちらに向って歩み来《きた》りいることは事実なのであります。
 まさか、これだけの距離があって、そうして物蔭にいて、彼等に見咎《みとが》められようはずはないのだが、現にこちらを目指して仏頂寺がズンズンと叢を分けてやって来るから、兵馬も動揺しないわけにはゆかないでいると、
「どうしましょう、どうしましょう……あら、仏頂寺の奴、こっちをあんな眼つきをして睨めていますよ、たしかに見つかっちまったのよ」
と言って、福松は兵馬にしがみつきました。
「まさか!」
 しかし、いよいよ感づかれて、見つけられたとなったらその時のことだ! 兵馬も腹を決めていると、
「今度は見捨てちゃいやよ、宇津木さん! わたし仏頂寺に引渡されるのは、もう御免よ」
と言って
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