いっぱい、芋《いも》の子を盛ったような人出です。それが口々に罵っている、竹槍を持っている、米友と馬とをのぞんで石の雨を降らしかける、それは前岸の光景と全く同じことです。
 自分ながら落着いたつもりが、まだ血迷っていた。向きをかえたつもりだが、実はもう一ぺん廻り過ごして同じ方向に向いちまったか。あわて者が馬へ逆さに乗って尻尾《しっぽ》を見て、「おやこの馬には頭がねえ」と言ったが、乗り直して頭を見て、「尻尾もねえ」と言ったという笑い噺《ばなし》がある。そうでなければ大きな鏡仕掛で、あちらの幻像を、こちらへがんどう返しにうつし取ったものと見なければならないが、事実上、米友がどちらを向いて見ても、両岸が同じ光景だものですから、一時、どうしても、そこに馬の口を取りながら、立ちすくみの姿勢をとらざるを得ませんでした。
「わからねえ。わからねえ奴等だ」
 それは、馬が駈けて行く方が用心するのは当然であるとしても、その用心か惰力《だりょく》かなにかで文句を言い、石の一つも投げてみようという手ずさみは、まあわかっているが、もうこの通り、馬も取鎮めてしまって、そうして穏かに曳《ひ》いて帰ろうてえのに、その引返した方の奴が、悪口を言ってこっちへ石を投げかけるてえのは、わからねえ理窟じゃねえか。
 こういう人気の土地か知らねえが――こんなことは初めてだ、一匹の馬のために、まあ、見るがいい、後から後からとあの人出は、村方総出だ。
 おやおや、竹槍を持ったのが、バラバラこっちへやって来るぜ。
 また、向う岸からも竹槍を持った奴が、バラバラとこっちへやって来るぜ。いったいどうしようてえんだ、このおいらと、馬とを、両方から挟み討ちにして、あの竹槍で突っつき殺さずにゃ置かねえという了見《りょうけん》か――それはいよいよわからねえ。第一、この馬とおいらが、何を悪いことをしたのだえ。
 馬はやみくもに駈けたばっかりだ、おいらはそれを追っかけて来たばっかりなんだ、老人《としより》子供《こども》の一人にだって、怪我あさせたわけじゃあねえんだ。村を騒がせて済まなかったといえば済まなかったに違えねえんだから、その点はおいらだって詫《わ》びをしろと言えばしねえとは言わねえよ。なにもこっちも好きこのんで、馬を飛ばしたわけじゃねえんだ、馬が何かに驚いて飛び出したんだ、何に驚いたんだか、そんなことはまだ原因をたしかめる
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