後妻の子は、後妻と共に非業《ひごう》に生涯を終っている。養子をする――ということになると、果してこの家を譲り、自分をして安心して眼を瞑せしむるほどの養子がどこにいる。どこを探したら出て来る。親類――それに頼みになる奴があれば今日のことはないのだ。この甲州第一等の祖先伝来の身上《しんしょう》を、今どうするか。
伊太夫は、どうかすると、昔の仏説などにある長者物語のようなのを身に引当てて考えて、いっそ、持てるもののすべてを世に喜捨報謝してしまったら、とさえ、考えるだけは考えてみたことも再々でした。
だが、喜捨報謝してみたところが、これだけの身上を受けきれる人がどこにあるのか。へたに投げ出してみたならば、それこそ群がる餓狼のために、肉の倉庫を開放したようなもので、徒《いたず》らに貪婪《どんらん》と争闘との餌食を供するに過ぎないのだ。
どうしても自分が守り通して行かなければならない、そうしてまた、自分の志をついでこの社稷《しゃしょく》を守り通す人を見出して、このまま後を嗣《つ》がせなければならないという、世間普通の財産世襲の観念が最後の結論でありました。その陰密の間《かん》に加わる、持てる者の悩みの圧迫から、とつおいつした最後の果ては、いつでも、同じような平凡な結論に終るのを繰返し繰返しするのが、伊太夫の頭の、このごろの日課のようなものであります。
ついに、養子問題を、与八とその携えて来た少年の身の上に投げかけてみるように至ったのも、その思案のあまりの一つでありました。
今日も、それを繰返して考えたり、帳合《ちょうあい》をしたり、帳合をしてはそれを繰返して考えてみたりしているところへ、老番頭の太平がやって来ました。
「旦那様、お邪魔いたしてよろしうございますか」
と言って、何か特に改まった用件でも出来たかのような語勢でもありましたから、伊太夫も眼鏡をとって、
「何ぞ用かい」
と言いますと、
「お嬢様から、急飛脚でございまして」
「なに、銀から……」
反逆者として遠島をさせてしまったような気分でいても、そこは肉親の親子の情合いと見えて、旅先の娘から急飛脚ということを言われて、思わず身体《からだ》が乗出したのです。
「はい、わたくし宛に、お手紙が参りましたのですが、わたくしだけでは計らい兼ねますによって、旦那様の思召《おぼしめ》しを伺いに参りました」
「ふーん、あれ
前へ
次へ
全220ページ中207ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング