方の身分ありげな士分の人が、
「ほほう、今時、そういう都合のいい金があるとは耳よりだな、いったい、いくらあるのだ」
「七万両ございますな」
「七万両――それはなかなか大金だ、その方の一存でそれが無条件に使用ができるのか」
「左様でございます、わたくしのほかに、まだ一人だけその所在を知ったものがございますが、そのほかには絶対に……そうして、そのわたくしのほかのもう一人と申しますのも、わたくしが処分いたしますと、口出しをしたくもできないようになっているのでございますから、結局、わたくしの一存で、自由になる金なのでございます」
「ははあ、してみると、その方の所有金も同様じゃ」
「いかがでございます、それを、あなた様が御使用あそばすならば、わたくしが責任を以て御用立てを申し上げますが」
「それは有難いな――この際、無条件で七万両の金の運用ができれば、一藩を救うのみならず、一代の風潮を寝かし起しもできようというものだ」
「御遠慮なくお使い下さいませ、まかり間違えば、わたくしが腹を切ります」
「そうか、では、そいつを貸してもらうかな。ところで……」
 この相当の身分ある士は、七万両を咽喉《のど》へつかえもせずに、もう腹の中へ飲み込んで納めてしまったような度胸が、神尾は羨《うらや》ましくもあり、いよいよ憎いとも思いました。
 おれは今まで金を欲しがっていた。相当、金を使った覚えもないではないし、身のつまる時はずいぶん無理をして金工面をし、ひそかにその腕を誇ったこともないではなかったが、こうして相手から無条件、無雑作《むぞうさ》に七万両の金の使用方を提供されながら、別段に有難い面もせずに腹へ落してしまう奴が面憎い。今のおれの目の前に七万両はおろか、七千両でも、七百両でも、七十両でも、無条件に投げ出す奴があったら、おれは恥かしながら眼の色を変えるかも知れない。然《しか》るにこいつは、七万両をおうように飲み落して、腹がくちいような面もしやがらない。憎い奴共が、憎い話しぶりだと、思わず聞き耳を立てるような気でいるところ、また例の白い上衣をつけた給仕が、何かホヤホヤと烟《けむり》の立つ肉類を皿に載せて持って来て目の前に置きました。銀の小さなお玉杓子を取り上げて、これをつつきながら、前席の会話を聞きました。

         七十三

 ところで、前の会話の二人も同じように、新たに運ばれた
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