、天下の高味《こうみ》、文明開化の食物――」
 のだいこまがいの金公は、下級|戯作者《げさくしゃ》のたわごとを受売りするように安っぽい通《つう》がりで給仕を催促する。
 神尾主膳は不興満々でそれを見つめていましたが、ふと眼をそらすと、一方のその六尺もある大きな鏡です。その鏡へ、こちらを向いてベチャクチャとしゃべっている金助の後ろ姿がほとんど全部うつし出されて、本人が動けば、ちょんまげまでも動くのがありありとわかるのに、神尾主膳はちょっと興を催して、その鏡面をつくづく見ているうちに、自分のいずまいをちょっとくずすと、その鏡面へちらりと――自分の面《かお》が、三つ目のあるその面がちらりと映ったので、またグッと不快の念が萌《きざ》して、その面を引込めるなり、苦りきってしまいました。

         七十一

 ところが、ここにはたった二人だけれども、支那人のよそおいをした給仕が、次へ次へと持ち運ぶ皿の数は、ちょうど椅子の数と同じことなのです。そうして、椅子の排列通りに卓子《テーブル》の上へ、それからそれと並べて行ってしまうのを変だと見ていると、また一人の給仕は、ぴかぴか光る銀ずくめの箸《はし》だの、杓子《しゃくし》だの、耳かきの大きいようなものを持って来て、次から次へと皿のわきへ並べる。その有様を見ていると、今は二人の客だけれども、これからなお我々と椅子を並べて、他に八人の者が同時にここで食事をするような仕組みになっているらしい。といって神尾は誰も人を招いた覚えはない。だが、それを聞きただして咎《とが》め立てをすべき理由もないので、例の苦りきって見ていると、そのとき金助は、席を主膳の直ぐ隣りへ移して、給仕の持って来た銀製のおしゃもじのようなものや、耳かきの大きいようなのを、ちょいちょいあしらいながら、主膳の耳もとへ低い声で、
「殿様、これから洋式のお食事がはじまります、あちらではこうして、他人同士がみんな並んで食べるのが礼式なんでげす。食事の召上り方、このお玉杓子の小ぶりなやつ、これをこうあしらって口中へ運ぶのでげすが、そこは拙《せつ》が一通り心得ていやすから、失礼ながら殿様には、拙の為《な》すところを見よう見真似《みまね》に遊ばしませ。食事を為す時に音を立てないのが礼儀でございます。只今これなる椅子へそれぞれ客人が着席を致しまする、その客人のうちには眼色毛色の変った
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