、ことに築地の異人館ホテルの牛の味と来ては、見ても聞いてもこたえられねえ高味《こうみ》でげす」
「ギュウというのは牛のことか」
「左様でげす――」
「一橋の中納言は豚を食って豚一と綽名《あだな》をつけられたくらいだから、牛を食っても罰《ばち》も当るめえ」
「罰が当るどころの沙汰ではございません、至極高味でげして、清潔無類な肉類でげす、ひとたびこの味を占めた上は、ぼたんや紅葉《もみじ》は食えたものじゃがあせん」
「そうか、牛というやつは清潔な肉かい」
「清潔でございますにもなんにも、こんな清潔なものを、なぜ日本人はこれまで喰わなかったのでげしょう、西洋では千六百二十三年前から、専《もっぱ》ら喰うようになりやした」
「くわしいな、千六百二十三年という年紀を何で調べた」
「福沢の書いたものでも読んでごらんあそばせ、あちらではその前は、牛や羊は、その国の王様か、全権といって家老のような人でなけりゃあ、平民の口へは入らなかったものでげす、それほどこの牛というやつは高味なものでげす、それを日本ではまだ野蛮の風が失せねえものでげすから、肉食をすりゃ神仏へ手が合わされねえの、ヤレ穢《けが》れるのと、わからねえ野暮《やぼ》を言うのは、究理学をわきまえねえからのことでげす」
「ふーん、日本は野蛮の風が失せねえから、それで肉食をいやがるのだと、これは笑い草だ、生き物の肉をむしゃむしゃ食う毛唐の奴の方が野蛮なんだ、勝手な理窟をつけやがる」
と神尾が冷笑しました。本来、びた公の言うことなぞは、冷笑にも、嘲笑にも価《あたい》しないのですが、こんなことをべらべら喋《しゃべ》るのは、何か相当の受売りなのである。文明めかす奴があって何か言い触らすものだから、こういったおっちょこちょい[#「おっちょこちょい」に傍点]どもがいい気になって新しがる。それを金助の説として聞かないで、その当時の似非《えせ》文化者流の言葉として聞いて神尾が、冷笑悪罵となったのを、金公少々ムキになって、
「いや、神尾の殿様、お言葉ではげすが、毛唐が勝手な理窟をつけるとのおさげすみはいささか御了見《ごりょうけん》違えかとびた助は心得まする、第一、あっちは、すべて理で押して行く国柄でげして、理に合えば合点《がてん》を致しまする、理に合わないことは、とんと信用を致しませぬ、勝手な理窟を取らぬ国柄でげしてな。たとえば蒸気の船や、車のしか
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