ちゃとしての、驕慢にして、しかも多分の無邪気を持った処女として現われました。昔はこういう時に幸内を召しつれて、よく幸内の口から世間話や、昔話を聞かせられたものでした。唯一の愛人としての幸内は、またお銀様にとって唯一の話し相手でもあれば、また唯一の知識の供給者でもあったのです。幸内と火桶を囲んで夜更くるまで話していたこともあれば、野原をむやみに散歩して、幸内をむやみに叱ったり、困らせたりして、やがてまた自分が済まない気になって、泣いて幸内にお詫《わ》びをしてみたりなんぞしたことも絶えずあったのです。
 もう、今も、昔も、ありし人も、亡き人も、ごっちゃになってしまったお銀様の頭では、何はさて置き、幸内の口から再び、或いは現実的であり、或いはお伽噺《とぎばなし》の国の話である物語を聞くことの、うれしさ、床《ゆか》しさに満たされてしまいました。

         六十六

 そうして、今、幸内が語り出すところの「泡《あわ》んぶくの仇討物語」というのを、幼な馴染《なじみ》に聞いた昔語りの気分と、すっかり同じ心持になって、時々まじる甲州言葉までが、時とところを超越したお伽噺の世界に自分を誘うように聞きなされるが、そうかといって語り出すところの物語であり、お伽噺であるところの話の本質は結局、甚《はなは》だめでたいものではないのでありました――
 昔、あるところに旅の商人がありました。
 いつも、若い番頭を一人つれて太物《ふともの》の旅商いに歩き、家には本来相当な財産がある上に、勤勉家でもあり、商売上手でもありなかなか繁昌したものです。
 ところが、留守を預かるそのお内儀《かみ》さんの心の中が穏かでありませんでした。
「うちの主人は、ああして、商売上手に諸国へ出張して儲《もう》けて来るが、あんな若い番頭を連れて歩いたのでは、いつ番頭に誘惑されて色里へでも引込まれ、または旅先で、あだし女をこしらえてはまり込み、売上げも、元も子もないようにされてしまう場合がないとは限らない」
というような思い過ごしと、女の浅はかな心から、これは早くこちらから先手を打って置く方がたしかだと、思案を凝《こ》らしたその思案というのが、やっぱり、女の浅はかに過ぎませんでした。
 これは何しても、あの番頭をこっちのものにして手なずけて置くに限る、そうすれば、旅先で、旦那の目附役にもなり、家へ帰っては自分の味方
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