ず答えて上げることの代りに、お前がまず、道庵が訊問するほどのことを、まず一ぺん答えてからでなけりゃあ、術譲りをするわけにいかねえよ。その人にあらず、その器《うつわ》にあらざるものに、大法を伝えるというわけにゃいかねえが、どうだ」
「ええ、よろしうございますとも、何でも試験をしていただきましょう、先生のお出し下さる試験問題に及第するか、しないか、そのことは別個と致しまして、知っている限りの御返事だけは、ちっとも御辞退なしに申し上げてしまいますわ」
「よし来た、じゃあ、聞くがな、お雪ちゃん、お前は孕《はら》んだことがあるかい、ないかい」
「えッ」
この剥《む》き出しな試験問題には、充分覚悟をきめていたお雪ちゃんが、慄《ふる》えあがって、二の句がつげませんでした。そうして面《かお》の色がみるみる変り、唇の色までが変って、わななかされている体《てい》は、見るも気の毒なものでした。
六十
これより先、今宵のこの二人の水入らずの会話と討論会が酣《たけな》わなる時分から、この館《やかた》の例の松の大木の根方に彳《たたず》んで、ひそかにそれを立聞きしていた者がありました。
それは最初から立聞きに来た目的ではなく、ここを訪れようとして偶然、内では水入らずの会話と討論とが酣わであることに気がつくと、つい無遠慮にもおとない兼ね、そうかといって、引返すのも残念なように見えて、ついつい松の根方に彳んでしまったものとして受取れる。自然、そうしている以上は立聞くつもりでなくっても、おのずから内なる人の会話と討論とは、手にとるように聞き取れるのです。
内なる水入らずの二人も、会話と討論の気合がよく合うものですから、我を忘れて昂奮もすれば、躍起ともなり、また笑い溶かしたり、笑いくずしたりして、たいそうたあいない会話と討論ぶりが、いよいよ酣わになるばかりでありました。
この水入らずの酣《たけな》わなる会談が、もし相手次第では、ずいぶん聞捨てにならないほど、人の嫉妬《しっと》に似た心理作用を捲き起すかも知れないが、この話題の二人の人格に格段の異色があるところから、誰が聞いていても、その熱心ぶりにこそ興を催せ、これに嫉妬だの、艶羨《えんせん》だのというに似た感情を起させることは、万無いのでありました。
そこで、立聞きをしていた人も、存外いらいらした気分も見せないで、おとな
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