いの、そうして、あなたと同じような愛想のある別嬪《べっぴん》さんなんだがね……」
「わたし、別嬪さんなんかではありゃしませんわ」
「どうしてどうして、なかなか隅には置けねえね。ところがそのお雪ちゃん同様の、道庵お得意先の別嬪さんが、ふと病にかかって、ぜひとも道庵先生に診《み》ていただきてえ――そう言われると、こっちも男の意地でいやとは言えねえ、相手が別嬪だからって、後へ引くようなことじゃ年甲斐《としげえ》もねえ――」
と言って、一力《ひとりき》み道庵が力みますと、お雪ちゃんがまた、
「ホ、ホ、ホ、ホ」
と笑いました。相手が別嬪だから、後へ引くようでは年甲斐もない――というのは、やっぱり理窟に合わないところがあるのです。それをお雪ちゃんが少し笑ったのでしょう。そういうふうにお雪ちゃんの調子がいいものですから、道庵もいよいよ附け上って、
「そこで、一通りそのお嬢さんの脈を診《み》て上げて帰りに、先生一杯なんて、よけいなことをその家の両親共がすすめるもんだから、ついいい気持になっちまって、それから牛込の改代町まで来ると、出逢頭に子供を一人、蹴飛ばしちまったんだね。ところが、その子供の親父《おやじ》が怒ること、怒ること、むきになって怒るから、こっちも相手が悪いと思って、平あやまりにあやまったが、先方がどうしてもきかねえ。わしも困っていると、いいあんばいに仲裁が出ました。その仲裁人が、子供の親父をなだめて言うことには、お父さん、足で蹴られたぐらいは辛抱しな、この人の手にかかってみたがよい、生きた者は一人もない――だってさ。そこでおやじも、おぞけをふるって逃げて行った姿がおかしかったよ」
「ホ、ホ、ホ、ホ」
お雪ちゃんがまた笑いこけました。しかし、これもお雪ちゃんとしては、笑いこけるほどの新し味があったかも知れないが、実は古いものなので、安永版の初登りあたりにあるのを、道庵が、単にお雪ちゃんを一時《いっとき》喜ばしたいがために焼き直した形跡がありありです。本来、こういうつまらない技巧は、道庵先生のために取らないところなんだが、お雪ちゃんの御機嫌に供えるために、ちょっと取寄せてみたに過ぎないでしょう。
素直なお雪ちゃんは、そういう焼直しや、お座なりをあてがわれても、道庵のために快く笑ってやりましたが、
「先生、あなたは御自分の棚卸しばかりしていらっしゃるけれども、本当の値うち
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