なるのも是非がないでしょう。そこでこの八景めぐりが自然にお大尽風を吹かせるような景気になって、そこは、相当の要所要所へ金をきれいに使うことは心得ている。舞子や、たいこ末社まで取巻に連れ込んだのは、これは何か偶然の達引《たっぴき》か、そうでなければ、転んでも只は起きない例の筆法で、この一座のげい子、舞子、たいこ末社連のうちに、将来利用のききそうな玉があると見込んでいることかも知れません。
とにかくこうしてお角さんの八景巡りは、仰山ないでたちでありました。道を通る人も、乗る舟を見かけて集まるほどの人も、みんなこの華々《はなばな》しい景気に打たれて、眼を奪われないものは無いのです。そうしてどこのお大尽の物見遊山かと、その主に眼をつけると、案外にも関東風の女親分といったような伝法が、しきりに舟の中で指図をしたり、叱り飛ばしたり、おだてたりしているものですから、舞子、芸子、たいこ末社の華々しさよりは、この女親分の威勢のほどに気を取られ、目を奪われないものはありません。
こうして、お角さんの八景遊山舟が出立の用意に忙がしがり、岸に立つ者、もやっている舟の注視の的になって、その風流豪奢のほどを羨《うらや》んだり、羨ましがられたりしているところへ、群衆を押分けて、のそりのそりとお角さんの舟へ近づいた異形《いぎょう》のものが一つありました。
頭はがっそうで、ぼうぼうとしている。身にはやれ衣[#「やれ衣」に傍点]をまとい、背中に紙幟《かみのぼり》を一本さし、小さな形の釣鐘を一つ左手に持って、撞木《しゅもく》でそれを叩きながら、お角さんの舟をめがけて何かしきりに唸《うな》り出しました。
その姿を見ると、芝居でする法界坊の姿そのままですから、あほだら経でも唸り出したのかと見ればそうでもなく、謡《うたい》の調子――
「秋も半ばの遊山舟、八景巡りもうらやまし、これはこのあたりに住む法界坊というやくざ者にて候、さざなみや志賀の浦曲《うらわ》の、花も、もみじも、月も、雪も、隅々まで心得て候、あわれ一杯の般若湯《はんにゃとう》と、五十文がほどの鳥目《ちょうもく》をめぐみ賜《たま》わり候わば、名所名蹟、故事因縁の来歴まで、くわしく案内《あない》を致そうずるにて候、あわれ、一杯の般若湯と、五十文の鳥目とをたびて給《た》べ候え、なあむ十方到来の旦那様方……」
こんなことを謡の文句で呼びかけるもの
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