仕事が、前いう通り、寝ている蒲団の中からお雪ちゃんの身体《からだ》を引きずり起して、両方の腕で掻抱いて、むやみにゆすぶり立てることでありました。そうして続けさまにその名を呼んで、まず正気を回復せしめて、事の理由をたずね問わんとするものでありました。
しかし、その手ごたえがいっこう薄弱で、かえってますます消極的にくず折れて行く有様に、周章狼狽をはじめたのは見らるる通りでありますが、この非常の際にも、ただ一つ安心なのは、どう調べてもお雪ちゃんの身体の外部にいささかの損傷のないということであります。
斬られているのでもなければ、締められていたという痕跡もないし、毒を飲ませられたという形跡もないことですから、事態はどうしても内臓の故障から来ているらしい。女子に特有な癪《しゃく》だとか、血の道だとかいったような種類、お雪ちゃんがてんかん[#「てんかん」に傍点]持ちだということは聞かないが、そうでなければ何か非常に驚愕《きょうがく》すべきことでもあって、一時、知覚神経の全部を喪失するほどに強襲圧倒させられてしまったのだろう。
その辺にだけは辛《かろ》うじて得心を持ち得たが、事体の危急は少しも気の許せるものではありません。
しかし、前に言う通り米友としての芸当は、烈しくゆすぶってみるよりほかには為《な》さん術《すべ》を知らない。ただ一つ知っている、それは柔術の活法から来ているところの当ての手でした。けれども、今の米友としては、その活法を、ここでお雪ちゃんに施してみようとの機転も利《き》かないほどに狼狽を極めておりました。またその機転が利いていたところで、当身《あてみ》や活法は、施すべき時と相手とがある。今この際、このか弱い病源不明の者に向って、手荒い活法を試むることがいいか、悪いかの親切気さえ手伝ったものですから、いよいよ手の出しようが無くなったのです。そこで、いよいよ深く、いよいよ強く、お雪ちゃんを抱き締めてしまって、
「しっかりしろ、お雪べえ――」
幸いにして、ほんとに有るか無きかのささやかな希望のひっかかりを与えたのは、この時、こころもちお雪ちゃんの体の動きに少し力が見えました。
「しっかりしろ、しっかりしろよ、お雪ちゃん」
同じようなことを繰返して、米友が抱きしめてゆすぶる間に、有明ながら行燈《あんどん》の灯は相当の光をもっていたのです。その光が蒼白《あおじろ
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