ざりませぬ、この子を引廻し、使いこなすのはあれに限ったものでございます――いったい、人を見て使うということも器量の要る仕事でございますけれども、使われる方もまた、主と頼む人をよくよく見込んでかからなければならないのでございますが、この点におきましては、藤吉郎よりは虎之助の方がどのくらい恵まれているかわかりません。そこへ行くとわたしたち母子は幸運者でござります、こうして易々《やすやす》と藤吉郎に頼みさえすれば大安心でございますが、藤吉郎が主人を見立てて、この人ならばと頼み込むまでには容易なことではございませんでした。もともと尾張中村の賤《いや》しい土民生れでございますから、一族郷党に優れた取立てがあるというわけではございませんし、自分の身に何の箔《はく》がついているわけではございません、乞食同様になって諸国を流浪の揚句が、ようやくこの人ならばと思う主人を自分で見出しまして、自分でその人のところへ押しかけ奉公を致しまして、やっと草履取《ぞうりとり》に召使われましたのが運のはじめでございました。藤吉郎はあれで天下第一等の苦労人でございます、世間では天下第一等の幸運者のようにも申しますが、わたくしたちから申しますと、天下第一等の苦労人と申すほかはござりませぬ。幸運を羨《うらや》む人は多くございますが、苦労のことはあんまり認めてやるものがございません」
「なるほど――」
「あなた様も御承知でございましょう、やはり尾張の出身ではございますが、身分は藤吉郎などとは比べものにならない家柄、今は安土《あづち》の主織田信長でございます――織田殿を主人に見立てたばっかりに、藤吉郎も今は江州長浜で五万貫の身上になりました」
「そうすると、そなたのそのお子さんも、やがて一国一城のあるじになり兼ねぬ運命を持っておいでだ」
「はい、親類から一人エライのが出ておりますと、何かにつけて仕合せでございます」
「その通り。もしまた間違って親類から一人悪い奴でも出ようものなら、一家一まきが災難だ」
「さようでございます。それ故どうかこの子もすんなりと立身出世を致させたいものでございます、草葉の蔭におりまするこの子の父親弾正に対しまして、わたくしのつとめでござります――承れば、あなた様のお父上も弾正様とお名乗りあそばされましたそうで、やはり御成人あそばした後までも、あなた様の立身出世をお祈りになっていらっし
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