動でもなければ、手品つかいのたわむれでもなかったとは言い得られる。ただ、右のような青い火の現象は、多く冬季の闇の夜の暴風の晩を以て現わるるを常とするというのに、今晩――今晩は通常の晩秋の夜気のうちなのです。

         四十二

 松柏の間をくぐり来《きた》って、春照からの表参道の大路へ通じた時、この物影はそこから爪先上りに登山路につくかと思えば、そうでもなく、ある地点でずっと横道を左へ切れてしまったところを見ると、はじめてこの物影は、誓願あっていちずに夜山をする人でないことだけがわかりました。
 そんならば、山上山下、或いは中腹のいずれに目的があって、さまよい出したのか、それも暫しは姿と共に掻《か》き消されてしまったが、また暫くすると、大平寺平《たいへいじだいら》の広場へ来て針のように突立っているのを見ました。
 動かしてみなければわからないくらいですが、杖ついた身の、針のようにそばだって立っているそのうしろは、むろん胆吹の本山ですが、前はどうでしょう、ずっと大スロープに尾を引いた浅井坂田の里を、一辷《ひとすべ》りに琵琶の湖まで辷った大景。
 琵琶湖が眼の下に胴面《どうづら》を押開いている。そうして四囲の山が赤外線で引立てたように、常日の眺めとは一層に峻厳に湧き立っているので、琵琶湖そのものが、さながらアルプス地帯の山中湖を見るように澄み渡り、このそそり立つ四囲の山々、谷々、村々、里々は、呼べば答えんとするところに招き寄せられている。
 沖の島、多景島、白石――それから竹生島《ちくぶじま》の間も、著しく引寄せられて、長命寺の鼻から、いずれも飛べば一またぎの飛石になっている。
 比良も、比叡も、普通見るところよりは少しく四五倍の高さを増して、手をつなぎ合ってこちらへ当面に向っている。堅田の御堂も、唐崎の松も、はっきりと眼の前に浮び上って来ている。
 三井、阪本、大津、膳所《ぜぜ》、瀬田の唐橋《からはし》と石山寺が、盆景の細工のように鮮かに点綴《てんてい》されている。
 針のように、そこに突立っている物影は、これらの四周の山水を見めぐらすのでなく、眼前の大スロープが湖水へ向って辷《すべ》り込もうとするある一点に眼を注いでおりました。他の部分の山川草木はすべて眠っているのに、そこばかりは夥《おびただ》しい火だ。家々の軒が火を点じているのみではない、町々、辻々には
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