か》んで吐き出したくなるほどの、いやな声なのですが、しかし、それは感情の問題で、事実上、一人の人間が、この石垣の下あたりの地点まで、のたりついて、進退|谷《きわ》まって助けを呼んでいることは間違いないのですから、その声の生ぬるさの故を以て、その人の生命《いのち》を見殺しにするわけにはゆかないのです。
「ちぇッ――意気地のねえ野郎だな」
 内に向って怒号しきった米友が、外に向って噛んで棄てるような声。
「待ってろ、いま行って見てやるから」
 寸の足りない不動は濛々《もうもう》たる火焔を抱いて、転がるようにまたも外へ飛び出してしまいました。
 そうして、松の大木の根方のところから、三浦之助が安達藤三を呼び出すような恰好《かっこう》をして、そうして石垣の下を見下ろし、
「いってえ、どうしたと言うんだい、この夜中に、こんなところへのたりついて、人騒がせをやりゃあがって」
と叱りつけました。
「済まねえ――夜中にお騒がせ申して、ほんとに申しわけはねえと思うが、なにぶん、後ろには大敵、ところは名にし負うおろち[#「おろち」に傍点]の棲《す》む胆吹山――日本武尊《やまとたけるのみこと》でさえお迷いになった山なんだから、そこんところをどうかひとつ……」
「ちぇッ、生温い声をしやあがるなあ、いま縄を下ろしてやるから、それにつかまって上って来な」
「いや、どうも恐縮千万、実はね、この胆吹山へ薬草を調べに、道を枉《ま》げてやって来たものでげすが、どうもはや、慣れぬことで、道を枉げ過ぎちまったものでげすから、いやはや、あっちの谷へ転げ落ちては向う脛《ずね》を擦りむき、こっちの木の根へつっかかっては頬っぺたを引っこすられ、ごらんの通り、衣類はさんざんに破れ裂け、身体はすき間もなく掻傷、突傷、命からがらこれまでのたりついたでげす、いやはや、木乃伊《ミイラ》取りが木乃伊という譬《たと》えは古いこと、薬草取りに来て、生命を取られ損ないなんていうのは、お話にならねえんでげす、これと申すも日頃の心がけがよくねえからでげす、今日という今日は骨身にこたえたでげす」
 下の生温い音声を発する動物は、引きつづきだらしのない声でべらべらとこんな言葉を吐き出したのが、意外にもギックリと米友の胸にこたえました。
「おや――お前《めえ》は、おいらの先生じゃあねえか」
「おやおや、そう言うそなたの声に聞覚えがある、たし
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