箇の先陣が、その水門口をめがけて我先にと競《きそ》いかかる有様が、米友にハッキリと読めました。
「ははア――水門だな」
今や明らかに両軍争奪の的が、米友及びその馬であることは消滅すると共に、新たなる目的物の存在がわかりました。
目的はあの「水門口」の奪い合いだということは、馬鹿でない米友の頭にかっきりとわからないはずはありません。
「よくあることだ!」
それは芝居気たっぷりな模擬戦でもなければ、見得《みえ》や慰みでやるお祭でもない。好きと病で、稼業を休んで、ああしているわけではない。全くの戦争だ、いや、戦争以上の生活の戦いだ。
水争いである――よくあることだ、ひでり[#「ひでり」に傍点]の年には。
水を取ると取らないとは、二つの村の収穫に関係するのである。一年の収穫は、百姓の生活の全部に匹敵するのである。彼等両岸の村々の者が、その収穫のために水を得ようとするのは、その生活のために生命《いのち》を守ろうとするのと同じことだ。
必要だ――道庵流の模擬戦とは事が違って、現実に即した生死の争いだ、笑いごとや、冗談ごとじゃねえぞ!
米友がそうさとってくると、おのずからまた力瘤《ちからこぶ》が満ちて、じだんだ[#「じだんだ」に傍点]が川原の砂地へ喰い入りました。ここで今、生活の白兵戦が始まるのだ、さあ後陣《ごじん》が続く続く。
なだれを打って、後ろから人数が繰出して来たぞ。
やあ、こいつは――川原いっぱいが死人《しびと》の山になるのだ、気の毒だなあ――
どっちにも理窟はあるだろう、どっちも生死の境だからこうなったには違《ちげ》えねえが、何とか捌《さば》きはつかねえものか、両方ともに生きたいがために水が欲しいんだ、それだのに、両方は死人《しびと》の山を築いたんでは何にもならねえではないか、意地を張るというやつは、得てしてこんなもんだが、さあ、こいつはいけねえ。
おいら一人を目の敵《かたき》にやって来たなら、まだ始末はいいが――この多勢で入乱れて混戦となったら手はつけられねえ。
困ったなあ、弱ったなあ、ちぇっ!
米友は歯噛みをして、じりじりして、眼をクリクリさせて、じだんだ[#「じだんだ」に傍点]を幾つも踏んでみましたけれど、足がいよいよじりじりと砂地の中に喰い入るばかりで、全く手のつけようも、足ののばしようもないことを覚《さと》らずにはおられません。
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