いちよう》、体をつくし、研を究めようとも、彼は学んで而してこれをなし得るのではないから、示して以て能を誇るのでもない。況《いわ》んや衒《てろ》うて以て剽《ひょう》するものでないことは勿論である。
 今や米友は、むやみに愉快でたまらなくなりました。無論、時間のところも頓着はありません。それも全く無理のないことで、人はそれぞれその楽しむところに於て三昧《さんまい》に入り得る特権を持っているのですから、この男が唯一の芸術に、我が三昧境に、我を忘るるはやむを得ないことですが、ただ一つ他目に見て不思議なことは、お雪ちゃんというものが、その後、なんらの挨拶をしていないということであります。
「友さん、何をしているの、イヤな友さん、一人相撲の真似《まね》なんか、およしなさいよ」とかなんとか、呼びかけなければならないところなのですが、米友が陶酔境からついに三昧境に入るまでのかなり長い時間を、悠々とここにひとり遊ばせて置いて、お雪ちゃんその人がなんらの注意を呼び起していないということが不思議でした。
 そのうちに米友も、夢からさめたように三昧境を出でるの時が来て、ホッと息をつくと、杖を松の樹に立てかけて、錬鉄の肌ににじむ玉のような汗を、腰にブラ下げた手拭で拭いにかかり、
「うんとこ、とっちゃん、やっとこな」
と言いました。
 どこで聞き覚えたか知れないが、こんなわけのわからぬ言葉を口走る点は、たしかに幾分清澄の茂太郎にかぶれたものなんでしょう。
 そこで、沓《くつ》ぬぎに草履《ぞうり》を脱いで、以前の座敷に上り込もうとしたが、ふと妙な気配を感じました。

         二十七

「お雪ちゃん」
 当然、先方から呼びかけられなければならないところで、米友の方でダメを押しました。
 なるほど、自分ながらそう思って見れば、自分としてはかなり長い時の間、遊戯を試みていたのだが、その間、お雪ちゃんはどうした。こっちはこっちで楽しんでいたんだからいいようなものの、先方の身になってみると、「米友さん、何をしているの」と一言、たしなめてみてもよかりそうな場合であったではないか。
 お雪ちゃんが、今まで何とも言わなかった、あの子のことだから、いるんなら何とか言ってくれなけりゃならぬ場合なんだが、いっこう挨拶がないところを以て見ると、いないのかな。
 いないといったところで、今夜この場合、どこへ行く
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