す、お雪ちゃんの怨み言がよくわかります」
と弁信の方が、かえってさっぱりした短句調であしらうものですから、お雪ちゃんに、いよいよ満足の与えられようはずもありますまい。
「わかります、わかりますだけでは困るじゃありませんか、わかったら、わかったようにして下さらなければ……」
「お雪ちゃん、そんなに言うものではありません、会える時が来ればいつでも会えますよ、いったいお雪ちゃんは、何のためにそんなに会いたがるのですか」
「そんなこと、わかってるじゃありませんか」
「わたしには、ちっともわかりません」
「いやな弁信さん――それがわかっていらっしゃればこそ、お前さんだって、わざわざ飛騨の高山から、美濃の不破の関までわたしを連れて来て下すったじゃありませんか」
「いいえ、そういうわけじゃありません、わたしの耳に鈴慕の音が聞えて、こちらへこちらへと導くものですから、その音色を伝って来ると、ついつい不破の関まで来てしまったのです」
「あら――あんなこと言って。弁信さんという人も、人を揶揄《からか》います、こんな人の悪い方じゃないと思いました」
「いいえ、わたしは、あなたをからかいは致しませんし、また別段、あなたに対して人の悪い行いをしたとも思いません」
 お雪ちゃんは、いよいよ弁信の答弁ぶりに平らかではありません。
「弁信さんのなさることは、弁信さんだけの世界にはよくおわかりなのでしょうが、わたしは短笛の音色だけを聞き、その笛の管の燃えさしだけを見るために来たのではありません、あなたと二人、裸はだし同様で美濃の国から飛んで来ました。いま思えばどうして、こんなかよわい二人だけで、あの旅ができたのか夢の様に思われるばかりです。それほどの思いをして来たのに、来て見れば、その遠音を聞かせただけの思わせぶりで……万事をうやむやにしている弁信さんのズルイのを怨むのは、怨む方が無理なんでしょうか」
「ですからね、お雪ちゃん、あなたも、わたしも、鈴慕の音色にあこがれて来たのだということは、今もクドクドと申した通りなのです。しかし、不幸にして二人の聞こうとしていた鈴慕は聞くことができないのみか、音色を鈴慕に借りて、内容、精神はやっぱり堕地獄の音でありました。それ故に、わたしはあれを聞かせないように、せめて、あなたにそれを聞かせたくないようにとつとめている心は、今もあの時も少しも変りありません――それですから、今のわたしと致しましては、お雪ちゃんに怨まれましょうとも、ズルイと言われましょうとも、コスイと言われましょうとも、うやむやと言われましょうとも、これよりほかに何とも致し方がないのでございます。ですから、これはそうと致しまして、お雪ちゃん、わたくしはこれからひとつ、お山巡りをして参りますから、少しのあいだ待っていて下さい。お山巡りと申しますのは、実は、わたくしも縁あってこの胆吹山の麓を汚《けが》しながら、まだお山の神様へ御挨拶にもお礼にも出ておりませんから、これからひとつ……参詣をしてまいりたいと思うのです。お聞きにもなりましたでしょうが、この胆吹山と申しまする山は、日本七高山のその一つに数えられておりまする名山でございます。高さから申しますと、さきほどあなた方がおいでになった焼ヶ岳や穂高、神高坂《かみこうさか》、大天井《おおてんじょう》の方の山々とは比較になりませんけれども、あの地方は、山そのものも高いことは高うございますけれども、地盤がまたおのずから高いだけに、こちら方面よりは標高が高まっておりますものでございますから、山容そのものだけの高さをもっていたしますると、この胆吹山とても随分あちらの高山峻嶺に劣りはしないとこう考えますから、わたくしも、その心構えで参詣してまいりたいと思います。案内者でございますか。私としましては別段、案内者は頼みませんでも、山にしたがってまいりさえすれば、あぶないことはなかろうと存じます。登山路の道筋だけはよく承って置きました。これから参りますと、ほどなく女一権現というのがあるそうでございます、それを過ぎますと、北に弥勒菩薩《みろくぼさつ》のお堂がございまして、あの辺には一帯に松柏の類が繁茂いたし、胆吹名代の薬草のございますのも、その辺であると伺いました。それから登りますと三所権現があり、それをまた十町登りますると鞠場《まりば》というのへ出ると承りました。その鞠場より上へは女人は登ることを止められてあるそうでございます。それからは巌根こごしき山坂を越えて、絶頂が弥勒というところ、そこへ行くと、時ならぬ風は飄忽《ひょうこつ》として起り、且つ止まり、人の胆を冷すそうでございますが、一体にこの胆吹のお山は気象の変化の劇《はげ》しい山だそうでございまして、ことに怖るべきは、頂上の疾風だなんぞと人様が申しますから、その辺もずいぶん用心を致しまして、そうして頂上の弥勒菩薩に御参詣を致して御挨拶を申し上げ――それから帰りには、できますことならば、別の道をとって西に降り、胆吹神社に参詣――胆吹明神と申しますのは風水竜王が御神体であらせられ、その昔、飛行上人《ひぎょうしょうにん》がこの山に多年のあいだ住んでおりまして、開基を致されたと承りました。飛行上人と申すのは、いずれのお生れか存じませんが、飛行自在《ひぎょうじざい》の神通力《じんずうりき》を得て、御身の軽きこと三銖《さんしゅ》――とございますが、三銖の銖と申しますのは、三匁でございましょうか、三十匁でございましょうか――まだ私もよく取調べておりませんが、身の軽いということを申しますと、わたくしも至って身軽の痩法師《やせぼうし》でございますが、飛行自在の神通力なんぞは及びもないことでございます故に、つとめて自重を致しまして、山険と気象に逆らわず、神妙に登山を致し、慎密に下山を致して参るつもりでございます。本来、目が見えませんから、山へ登りましても人寰《じんかん》の展望をほしいままに致そうとの慾望もござりませず、山草、薬草の珍しきを愛《め》でて手折《たお》ろうとの道草もござりません、ただ一心に神仏を念じ、他念なく登ってくだるまでのものでございます。それ故、今晩のうちには、無事に戻って参るつもりでございますから御安心下さいまし。もしまた、途中、天変地異の災難がございましたら、心静かに臨機の避難をいたしまして災難をやり過して、それから徐《おもむ》ろに下りてまいります。いかに疾風暴雨といたしましても、一昼夜のあいだ威力を続けているという例は少のうございますから、その間をどこぞに避難しておりまする間の時間――それを御考慮に入れて置いていただきましても、明朝までには間違いなく戻って参ります。そのほかには、決して御心配になるほどのおそれはございますまい。あっ、そうでございますか、なるほど、昔、日本武尊《やまとたけるのみこと》がこの山で大蛇《おろち》にお会いになって、それがために御寿命をお縮めあそばされたという歴史の真相、あれはおそれ多いことでございましたね、山神が化して大蛇となり、悪気を以て武尊をお苦しめ奉ったという歴史、これは真実でござりましょうが、今日は左様な悪気はことごとく消滅しているに相違ござりませぬ。でも、毒蛇はいない代りに盗賊が――ああなるほど、それは一応は尤《もっと》もなお心づかいでございますが、この胆吹山や、伊勢の鈴鹿山が、名ある盗賊のすみかであったことも、もはや過ぎ去った昔のことでございます、今日では誰も左様なことを噂《うわさ》にさえ申しませぬ。ただ恐るべきは山路の険と、気象の変化、それだけなんでございましょう。では、わたくしはこれから出かけて参ります」
 ここまで弁信は喋《しゃべ》りまくって、また静かに、風のように廊下先から消えてしまったのを、お雪ちゃんは、とどめようとして、つかまえどころのないのに苦しみました。

         七

 弁信が帰るとまもなく、天候がにわかに変ってきました。
 後ろの胆吹山が大きな鳴りを立てたかと思うと、さっと吹き下ろす風が千丈の枯葉を捲いて、原も、村も、里も、一度に裏葉を返す秋の色を見せました。
 と見れば、比良ヶ岳、比叡山《ひえいざん》の上に、真黒な雲がかぶさり、さしも晴れやかに光っていた琵琶湖の湖面が、淡墨《うすずみ》を流したように黝《くろ》ずんできたのを認めました。
 麓の方で、さしも物騒であった鳥の形も、人の気配《けはい》も、いつのまにかすっかり消えてしまって、胆吹山おろしだけが、自分の頭の上でゴーッと鳴るのを聞くばかりです。
 あまりの急激な天候の変化に、お雪ちゃんは悲しいような、怖ろしいような気分に襲われていると、つづいて山おろしが庭先の松の梢を伝って、見ゆる限りの野も山も、どよめき渡ると見る見る南近江から、伊勢と美濃へかけての天地が暗くなって行くのです。
 うしろの胆吹の山が息をついては吐き、吐いてはつくように山鳴りをつづけている。その度毎に野分《のわけ》の大風が吹き出されるような響を聞くと、お雪ちゃんは、どうしても、さきのあの大鷲がこの山へ舞い戻って、その羽風《はかぜ》がこうして煽《あお》るのだと思われてなりません。不在《るす》の間に子を捕られて、それを取戻そうとつとめたけれども、そのかいがないために、親鷲が憤って、山の上で羽風を鳴らすために、急に天候がこう変って、風が吹きすさんで来たもののように、お雪ちゃんには受取れてなりませんでした。
 それにしても、この不穏な天候、もはやこうして、暢気《のんき》な縁先の仕事はできないものですから、委細をとりまとめて室内へ持ち込みながら、ああ、いやな風、自分の不快よりも、これから袂《たもと》をひるがえして、あの胆吹の山の頂を極めようとする弁信のために、悪いさいさきだと思わずにはおられません。
 お雪ちゃんは障子を締め切って風を防ぎながら、弁信さんのために、この風が早くやむように、あまり強くならないようにと心配していると、その心配がようやく昂じて来てなりません。取越し苦労はするなと、特に戒めて行かれたにかかわらず、この時はまた弁信法師の山登りがいっそう気がかりになってたまらないのみならず、風水盗賊の難のほかにまた一つ、もしかしてあの弁信さんが、この山上に棲《す》む大鷲にさらわれてしまいはしないだろうかという懸念《けねん》さえ起って、不安に堪えられませんでした。
「弁信さんも弁信さんです――なにもわたしたちさえ御参詣をしない先に、いくら身軽だからといって、たった一人でお山登りなんぞをしないでもよいではないか」
 この信友もまた、自分に気をもませる存在の一つであるように思い案じてみました。

         八

 その心遣《こころづか》いが、その夜、枕についてからのお雪ちゃんを苦しいものにしました。
 胆吹山から吹きおろす大風の中に、袖を翻して、ひたすらに山路を登る弁信の姿を、いと小さく、まざまざと目《ま》のあたりに見ました。
 胆吹山容の雄偉にして黝黒《ゆうこく》なることは少しも変らず、大風はその山全体から吹き湧き、吹き起り、吹き上げ、吹き下ろすようにのみ思われて、つまり、山全体が大きな呼吸をしているようにしか、お雪ちゃんには受けとれなかったのは、さしも大風ではあるけれども、雨というものは一滴も降ってはいず、星の空はらんかんとして、山以外の天地は至って静かなものです。そこを、山だけが盛んにひとり吹き荒れ、吹きすさんでいるものですから、山自身が呼吸をしているものとしか思われません。その度毎に、弁信のやつれた法衣《ころも》の袖が吹き裂けんばかりに吹き靡《なび》かされ、その小さな五体が吹き上げられ、吹き下ろされているのを見るばかりです。
 そこでお雪ちゃんはまた、弁信をかわいそうだと見ないわけにもゆきません。ごらんなさい、あの通り、あのたどたどしい足どりを。二万|呎《フィート》以上のエヴェレストの探検家の運ぶ足どりと同様に、弁信の身が吹き倒され、吹きまろばされるから、寸進尺退の有様、見るも歯痒《はがゆ》いばかりであります。山路が嶮《けわ》しい上に、あの烈風がまともに吹き下ろすのだから
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