出たようなものですから、お雪ちゃんの神経が少し昂奮し過ぎていたのでしょう。
「大へん、ようござんすね、よろしうござんすけれども、弁信さん……」
お雪ちゃんは、とりあえず問いに答えておいてから、引続いて、やっぱり怨《うら》み言《ごと》の筋を引くことを如何《いかん》とも致し難く、畳みかけて詰問でもするように、
「あなたという人も、あんまりじゃありませんか、わたしをこんなところへまで連れて来て――連れて来て下さった御親切も、こうして何とは知らないけれども、住み心地は悪いとは思えないところまで、連れて来て下さった御親切は有難いですけれども、わたしの会おうとしている人に、ちっとも会わせて下さらないじゃありませんか」
「ああ、そのことですか」
「そのことですかじゃありません、美濃の国の不破の関へ来て、鈴慕の曲をまで聞かせて下さっておきながら、それからあとはどうしたのです、あなたはどうしてわたしの会いたい人に会わせて下さらないのですか――鈴慕が聞けるくらいのところにいるのですから、あなたさえ会わせてやろうとお思いになれば、今日すぐにでも会えるに違いないと思いますのに、それを、あなたは会わせて下さらない、ただ会わせて下さらないだけならいいけれども、もしかして、あなたは、わたしをあの人から遠ざけようとなさるのじゃないかしら、それも、あなた一流の親切から出でてそうなさる、意地悪でなさるのではないことはよくわかっていますけれども、そんなにまで、わたしというものが、たよりない、意気地ない人なのでしょうか。不破の関で鈴慕の曲を遠音に聞いて、それからわたしは、あなたの呼びにいらっしゃるのを待ちきれませんから、自分で行って見ますと、鈴慕の主はいないし、関守さんもなんだか空とぼけておいでになって、わたしの聞きたいわけを答えては下さいません。ただあの紅々《あかあか》と燃えた炉の中に、尺八の燃え残りだけが無残に残っておりました。それから、わからないお嬢様が、思い通りの世界を作ってみたいとおっしゃって、ここへ土地をお求めになり、住居を建てるから、わたしも仲間に入れとおっしゃる。それはよいことだと弁信さん、あなたも賛成なさいますから、あなたを信じて、ここへこうして三日目になりますけれど……」
ここでも、お雪ちゃんが、弁信の株を奪って、一息にこれだけの恨みつらみを述べたててしまいました。
「よくわかります、お雪ちゃんの怨み言がよくわかります」
と弁信の方が、かえってさっぱりした短句調であしらうものですから、お雪ちゃんに、いよいよ満足の与えられようはずもありますまい。
「わかります、わかりますだけでは困るじゃありませんか、わかったら、わかったようにして下さらなければ……」
「お雪ちゃん、そんなに言うものではありません、会える時が来ればいつでも会えますよ、いったいお雪ちゃんは、何のためにそんなに会いたがるのですか」
「そんなこと、わかってるじゃありませんか」
「わたしには、ちっともわかりません」
「いやな弁信さん――それがわかっていらっしゃればこそ、お前さんだって、わざわざ飛騨の高山から、美濃の不破の関までわたしを連れて来て下すったじゃありませんか」
「いいえ、そういうわけじゃありません、わたしの耳に鈴慕の音が聞えて、こちらへこちらへと導くものですから、その音色を伝って来ると、ついつい不破の関まで来てしまったのです」
「あら――あんなこと言って。弁信さんという人も、人を揶揄《からか》います、こんな人の悪い方じゃないと思いました」
「いいえ、わたしは、あなたをからかいは致しませんし、また別段、あなたに対して人の悪い行いをしたとも思いません」
お雪ちゃんは、いよいよ弁信の答弁ぶりに平らかではありません。
「弁信さんのなさることは、弁信さんだけの世界にはよくおわかりなのでしょうが、わたしは短笛の音色だけを聞き、その笛の管の燃えさしだけを見るために来たのではありません、あなたと二人、裸はだし同様で美濃の国から飛んで来ました。いま思えばどうして、こんなかよわい二人だけで、あの旅ができたのか夢の様に思われるばかりです。それほどの思いをして来たのに、来て見れば、その遠音を聞かせただけの思わせぶりで……万事をうやむやにしている弁信さんのズルイのを怨むのは、怨む方が無理なんでしょうか」
「ですからね、お雪ちゃん、あなたも、わたしも、鈴慕の音色にあこがれて来たのだということは、今もクドクドと申した通りなのです。しかし、不幸にして二人の聞こうとしていた鈴慕は聞くことができないのみか、音色を鈴慕に借りて、内容、精神はやっぱり堕地獄の音でありました。それ故に、わたしはあれを聞かせないように、せめて、あなたにそれを聞かせたくないようにとつとめている心は、今もあの時も少しも変りありません――それ
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