こは年功ですから、いやに処女ぶっている乙女の乳首に眼をつけてしまったんでしょうね、温泉のお湯の中で……ですけれども、それが飛騨の高山へ来る時分には、すっかり下りてしまっていました。男の子であったか、女の子であったか、そのことは存じませんが、だいそれた自分の手で、虫も殺さない処女ぶった娘さんが、嬰児殺《えいじごろ》しをやりました。それは、人を殺すことは茶飯を食べるように心得ている人のお仕込みだから、子供を一人、闇から闇に送るなんぞは、言うに足りない仕事でしょうが、それでも親は親、子は子です、どこぞにいる人殺しの名人でも、まだ我が子を手にかけて殺したということは承りません」
「まあ、お嬢様、あなたのお言葉は怖ろしい毒を持っておいでなさいます――ほんとうに驚くべき邪推でございます、いつ、わたしが、そんなことを……」
「お雪さん、いつまたわたしが、あなたがそんな悪いことをしたと申しました、今でも白骨へ行ってごらんなさい、あそこで死んだ浅吉さんという男妾の人の石の墓じるしがございましょう、その傍に、心ばかりの小さな石塔が据えてあります、いったい、あれは誰のですか」
「あんまりだ、あんまりだ」
 お雪ちゃんは、ついに面《かお》を蔽《おお》うて泣き伏してしまいました。
「は、は、は」
 その時また、冷淡極まる笑いが竜之助の面に浮びました。

         十二

 同時に、湖面の一点に、ざんぶと音がして、そのあたり一面に水煙が立ったかと見ると、漣々《れんれん》として、そこに波紋が、韓紅《からくれない》になってゆく異様の現象が起りました。
 湖面も、湖を立てこめた数千丈の断崖も、前に言った通りの蛍のように蒼白《そうはく》の色に覆われていたのが、今、不意にざんぶと音がして、その水煙から輪になって行く波紋のすべて鮮紅色になってゆく現象を、さすがお銀様が怪しまずにはおられません。
「あれは、どうしたのです」
 意地悪いお雪ちゃんいじめを抛擲《ほうてき》して、そうして疑問をかけたのを、竜之助がうなずいて、
「あれだ、ああして毎日、いいかげんの時に、人が飛び込むのだ」
「飛び込んでどうするのです」
「どうするって、つまり身投げだよ。見ていると、一刻《ひととき》の間に十も二十も飛びこむことがある、そら見な、あの通り真紅《まっか》になっている中に、真白いものがふわりと浮いているだろう、女の臀
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