の爪が肉身の間に喰い入っているのではないのでしょう、苦痛の表情が更にないのみならず、血も流れてはいないのです。でも死んでいるのでないことは、その表情がそれを示します。寂静ではあるけれども、弁信の面の上には、苦痛のあとと悶絶《もんぜつ》の色は現われてはいないのです。弁信さんという人は、普通の人が苦痛の極とする時には、かえって安静の色が現われるし、多くの人が絶望の刹那《せつな》という時に、かえって大安心《だいあんじん》の愉悦相を現わして来る人だ――だから、この場合、ああして澄まし切った面を見ていると、あれで全く無事なんだという弁信の心境が、お雪ちゃんの心の鏡にはっきり映るのです。せめてそれだけが、お雪ちゃんの心の慰めでありましたが、そうかといって、あのままで置けるものではありません――米友はしきりに歯がみをして、地団駄を踏んでいる。
「奴! やりゃあがったな」
「友さん、どうかならないものですか」
「うむ、見てやがれ!」」
 その時、ブーンと風をきって曳火弾《えいかだん》のように米友の手のうちから飛び出したのは、それは例の宇治山田以来身辺を離さぬところの杖槍《つえやり》でありました。手練の手もとから風をきって飛び出したその目あては、あの大鷲でなくて何であろう。
「あら! 米友さん、無茶なことをしては……」
 かえってお雪ちゃんが、その棒のために胸を打たれた思いをしました。
 というのは――いくら腹が立つといったところで、ここであの鳥を痛めつけては、どうもならないではないか、鷲が一羽だけでもあるならば、それを打ち落そうとも、射止めようとも知らないが、あの鷲は弁信さんという人質を取っている、鷲を落せば、弁信さんも落ちて来る、落ちれば鷲よりも弁信さんが先に粉微塵《こなみじん》に砕けてしまうではないか、米友さんという人も考えが浅い!
 お雪ちゃんはこう思って、ひやりとしたけれども、そこはまた余裕があって、まあ、米友さんがこうして腹立ちまぎれ、危急まぎれに、思わず知らず得意の棒を擲《なげう》ってみたところで、鷲はあの通り、千尺の高みにいる、いくら米友さんが棒の名人だからといって、矢も鉄砲も届くはずのないあんな高いところまで、棒が届くはずがない――そうも思って、お雪ちゃんも、やや安心していると、どうでしょう、その米友の擲った槍が、容易には下へ落ちて来ないのです――それはちょうど棒の
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