うも、今晩のお前の挙動というものは、全く拙者にはわからない」
駒井は、いよいよ深く解し兼ねていると、鐘が鳴りました。
寺の境内のことですから、その鐘が、突き抜けるように間近く響きました。七兵衛は、あわただしく立ち上り、
「では、時刻が遅れますと、なんでございますから、これでお暇《いとま》……」
入って来たところから、完全に出て行ってしまったのですが、駒井はどうしても、夢でなければ魔である――物《もの》の怪《け》を信ずることの絶無な駒井甚三郎が、何か実物以外の影の尾を曳《ひ》いている姿を、認めようとして認め得られなかったのです。
十五
その翌朝、舟を雇うて、松島から石巻湾を横断して、月ノ浦に帰った駒井甚三郎は、何はさて置き、昨夜の怪事を田山白雲に向って物語りました。
白雲は、自分が逢わせられたと同じ型を、異った舞台面で見せられた駒井の経験に、またおぞけをふるいました。そうして同時に二人が、七兵衛なる者が、今まで見ていた通りの篤実なおやじで、世話好きのために、桁《けた》の外《はず》れた道楽にまで踏み込むことを悔いない、珍しい田舎者《いなかもの》だと見た見方を変えなければならなくなりました。
しかし、駒井にまだわかりきらないところも、白雲には、いよいよ心胆を寒からしめるほどに深く突込まれるものがあるのです。王羲之《おうぎし》の孝経を一目なりとも自分に持って来て見せると誓ったような、あの不思議な応対が、今となっては犇々《ひしひし》と思い当る――奇怪、不埒《ふらち》、人を食った白徒《しれもの》――と奥歯を噛んでみたが、それにしても、頼まれてもやれない仕事を、好意ずくでやってみせようという男。やることに事を欠きこそするが、そこに憎めない何物かがある。結局、わからない奴だ、変な奴だ、油断のならない奴だ。だが、自分たちにとっては、好意のありたけを見せられたほかには、なんらの悪意を受けてはいない。
駒井甚三郎は、七兵衛なるものを、ようやく解しきれないものに見直したのは同じだが、白雲ほどに深刻にはこたえていないのです。そこで白雲も、自分の見直したところを率直に駒井に言ってしまうことが、なんとなく忍びないような気持になりました。
しかし、解釈の相違にその辺までの程度はあるけれど、何は措《お》いても、彼を一刻も早く救い出してやらねばならぬ、という気持は全然一致している。それをするには何でもないことで、金城鉄壁の中に蔵《かく》されているというわけでもなんでもなく、隠れ家はちゃーんとわかっているし、ちょっと引出して、駒井が帰って来たように舟にでも載せさえすれば、いっぷくの間にここまで連れて来られるのだが、それを本人が希望しないで、少なくとも七日間はあれに窮命《きゅうめい》籠城《ろうじょう》していなければならぬというのは、何か事情があるのだろう。その事情を諒察してやるとすれば、彼の申し出どおり、その間の糧食を運んでやることが唯一の道だ。それとても、そんな難事ではない、そっと人知れぬ宵闇に、あの瑞巌寺の、人目の少ない境内の臥竜梅のうつろ[#「うつろ」に傍点]の中へ、握飯なり、干飯《ほしいい》なり持って行って、隠して置いてやりさえすればいいのだ、それだけのことはしてやらずばなるまい。それをするには、誰彼というよりお松に越したものはない。
駒井と白雲とは、このことを相談し合いました。けれども、お松にこの内容の一切を語り聞かせることは考えものだと思いました。お松が七兵衛を信じている心持は、どこまでも尊重して置かなければならないと考えたものですから――手際よく要領をのみこませ、そうして、田山白雲が、その翌日お松を連れて、また舟で松島へ渡りました。
松島の風景を写さんがために逗留《とうりゅう》の画家が、当座の女中として、雇い入れたようにして宿をとり、白雲は駒井の紹介で、瑞巌寺の典竜老師を訪れたものです。
松島の宿に着いたお松も、わからない心持でいっぱいです。ただ当分、七兵衛おじさんのためにこっそりと食物を運んであげる役目――宵々毎に瑞巌寺の臥竜梅のうつろ[#「うつろ」に傍点]へ、その使命だけを固く心にかけましたが、それにしてもどうもなんだか、牢屋へ入れられている人に差入物にでも行くような気持がして――愚図愚図していれば、七兵衛おじさんはお仕置に会って斬られでもしてしまうのではないか知ら、というような不安が、何とはなしにこみ上げて来るのです。
白雲はその翌日から、瑞巌寺へ日参して絵を描くことになったのは幸い――そうしてその夕暮、お松は絵の先生を迎えに行くふりをして、臥竜梅のうつろ[#「うつろ」に傍点]の使命の第一日を首尾よく果しました。
十六
これとほぼ時を同じうして、仙台の町奉行|丹野元之丞《たんのもとのじょう》が、何か感ずるところあって、仲間《ちゅうげん》一人を連れて不意に、古城の牢屋を見廻りに来ました。
「兵助《ひょうすけ》、兵助、兵助はいるか」
「はい、お呼びなさるのは、どなたでございます」
「丹野じゃ」
「これはこれは、お奉行様」
牢名主兵助が、立って戸前のところまで来ました。
元之丞が、
「兵助――無事か」
「はい、おかげさまで、無事すぎるほど無事でございます」
上目づかいにおとなしく返事をする囚人を、奉行は高飛車に、
「兵助、貴様も年をとったな」
「はいはい、年をとりましてございます」
「哀れなものだな、昔の元気はないな、その分では、目白籠《めじろかご》へ入れて置いてもこっちのものじゃ」
「へ、へ、へ、御冗談ものでございましょう、お奉行様」
と言って、獄中の人がはじめて冷笑しました。
「気にさわったか」
「御冗談もことによりけりでござります、お奉行様、兵助が年をとったと申しましたのは、往生を致したという次第じゃございません」
「なら、昔の元気が少しは残っているか」
「へ、へ、へ、万事若い時のようには参りませんが、お奉行様、兵助はおとなしくしているのが勝手でございますから、こうして牢畳の上で日向ぼっこをして虱《しらみ》をとっているまでのことでございます、音《ね》をあげろとおっしゃるなら、いつでも兵助相当の音をあげてごらんに入れます」
「うむ、まだ音をあげる元気があったのか」
「早い話がお奉行様――このお牢屋なんぞは、どだい骨が細くって、朝夕の立居振舞《たちいぶるまい》にも痛々しくてたまらないんでございます、まあ、お奉行様の前ですが、ちょっと、ここんとこをこうしてみてごらんあそばせ」
兵助はのこのこと立って来て、牢の一方の格子の角をゆすると、どうしたものか、その柱の一辺がガタガタと弛《ゆる》んで、見ていると、そこから人間が楽々と這《は》い出しかねない隙間をこしらえて見せました。
「ふーむ」
と、奉行は目をすましてそれを見る。
「お奉行様、年はとりましたとは言うものの、兵助もまだ四十台でございますよ、やれとおっしゃれば、こんなヤワな細工をおっぺしょって娑婆《しゃば》へ飛び出して、もう一働きも、二働きも、罪を作るのは朝飯前でございますが――何を言うにも、もう四十の坂を越しましてな」
「四十がまだ若いというのか、年をとり過ぎたと申すのか、わからん」
「どちらにお取り下さってもよろしうございますが、盗人《ぬすっと》と致しましては、四十はもう停年でございますな」
「どうして」
「私が今日まで見ましたところが、盗人をする奴は二十五六止り、大抵その辺で年貢が上って、三尺高いところへ、この笠の台というやつがのっかるのが落ちでございますが、不思議とこの兵助は餓鬼の時分から手癖が悪いくせに、こうして御方便に四十の坂を越して、安穏《あんのん》に牢名主をつとめさせていただくというようなのは、全く例外なんでございます。ですから、観念いたしやした。世間では、兵助はロクでもない奴だが、親爺《おやじ》が仏師で、徳人であったその報いで、ああして無事に長生き――盗人としてはでございますよ――をしている、とこう言っているそうでございます。そこで兵助も観念しましてな、こうしておとなしくして、牢畳の上で虱をとって神妙に納まっているのでございますが、なあに、お奉行様がやれとおっしゃれば今晩にも、こんな窮屈なところは飛び出してお目にかかりません」
「ふむ――そんなことをやれとは言わない、しかし、お前に少しばかり相談があって来たのだ、早くいえば頼みたいことがあって来たのだ」
「これは、異《い》な仰せでございますな、お奉行様が盗人に頼みたいこととおっしゃるのは――これは、どうしても頼まれて上げなければなりますまい」
こうして奉行が、囚人である兵助の耳に口を当てて、ささやく。つまり、耳こすりという段取りになりました。
その結果が――兵助の呑込みとなって、
「ようがす。その話は、牢へ新参《しんめえ》の口から聞かねえ話でもござりません。なかなかしたたか[#「したたか」に傍点]者でございますぜ、わっしの眼の届く奥州五十四郡のうちには、まずそんなしたたか[#「したたか」に傍点]者はございませんから、つまりそれは、旅烏の、風来者の――といって、またたびで賽《さい》の目をちょろまかそうという三下奴《さんしたやっこ》の出来損いにやれる芸当じゃございません。盗人の方でも、かなり本場を踏んで、五十四郡をのんでかかろうって奴でなけりゃやれません。年の頃だってそうでございます、まあ、この兵助と、おっつかっつでございますね、かなり甲羅《こうら》は経ていますよ。ようがす、ようがす、一番当ってごらんに入れましょう。お願いには、この兵助を七日間の間牢からお出し下さいまし、七日目に必ずここへ帰ってまいります、帰るからには、何とか目鼻を明けてごらんに入れたいと思います、七日とお約束をいたしやしょう、お奉行様」
兵助がこう言って、ニッタリと笑いました。
それからこの兵助が、松島の観瀾亭のお庭へ姿を現わしたのは、その翌日のことであります。
事の順に戻って、この兵助なるものの身柄を、一応説明しておく必要がありましょう。
今の自らの物語にもある通り、この城下生れの者で、父は仏師です。兵助、生れて身軽で、力があって、いつ習うともなく武芸が優れてきて、それが仇となって、今日までに幾多の悪事を重ね、数百の子分を持っている――
これが今、町奉行の内命を受けて、特に刑中の身を以て、観瀾亭から瑞巌寺《ずいがんじ》方面へ派遣されました。
これが裏を返すと、すなわち、仙台の仏兵助《ほとけひょうすけ》と、青梅の裏宿七兵衛《うらじゅくしちべえ》との取組みとなるのです。
十七
お松はその翌日、新月楼という宿屋から、瑞巌寺の庫裡《くり》へ、田山白雲画伯のためのお弁当を運びました。
白雲先生へという名題《なだい》で、実は、臥竜梅《がりゅうばい》のうつろの中が目的であること申すまでもありません。
ところが、来て見ると、その臥竜梅の下が先客によって占領されていました。その老大木の前には、自分がたずねて来るずっと以前から、おそらく早朝からでありましょう、一人のずんぐりした小柄な桶屋さんが座を構えて、しきりに桶の箍《たが》をはめているところでしたから、お松は、これはいけないと思いました。
意地の悪い桶屋さん――と、お松としてはそうとれたのもやむを得ませんが、ここで桶屋さんが仕事をはじめて悪いというわけはなし、よし悪いにしても、自分にそれを咎《とが》め立てすべき権能はないのですが、どうも悪いところに桶屋さんが頑張っていると、小憎らしく感ぜざるを得ませんでした。しかも、この桶屋さんは、悠然と、朝からこの大樹の下の日当りのよいところを仕事場に選定してかかっているらしいから、そう急に動き出しそうな様子もありません。
のみならず、この悠然たる桶屋さんの、いま仕事にとりかかっているのは、天水桶のうちでも優れた大きさを持ったやつですから、これ一つの箍の懸換えをするにも優に一日はかかりそうだ。
ところが、仕事はそれだけには止まらない。桶屋さんの周囲を見ると、
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